Posted on 03/19/2017 at 21:27, by matsumoto
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイによる福音書11章28節)
どうぞ、お気軽に日曜日の礼拝にいらして下さい。お待ちしています。
《集会のご案内》
◇主日礼拝/日曜日 午後6時~7時半(現在スカイプ/nobuyuki matsumoto でリモート礼拝を行っています)
◇早天祈祷会/毎日 午前5時半~6時半
《教会活動のご案内》
◇キリスト教式結婚式・葬儀・記念会(自由献金)
◇訪問聖餐式・訪問礼拝(無料)
◇人生(霊性)相談/随時(電話および面談)(無料)
◇NPOアジアン・ブリッジ(アジアの子ども達への支援)
◇マザーテレサ写真展企画
お問い合わせは、
au 090-9935-7053
まで。
上記活動はすべて皆様の尊い献金によってなされています。感謝します。
なお、献金の送付先は以下の通りですので、よろしくお願いします。
ゆうちょ銀行
記号12110 番号346951
なまえ マツモト マツヨ
(他銀行からの振込みの場合
【店名】二一八【店番】218【預金種目】普通預金【口座番号】0034695)
Posted on 03/19/2017 at 21:25, by matsumoto
いとすぎキリスト教会へのアクセス
JR中央線春日井駅南口を出て南へ→オリックスレンタカーすぐ手前を右へ→十字路過ぎ右側2軒目(2F建ての白い家です。玄関スロープ・駐車場3台分あり)
(南口を出て0568-89-2778 / 090-9935-7053へコール下されば、お迎えに行きます)
皆さんのお越しをお待ちしています。
主日礼拝 毎日曜日/午前10時30分-正午まで
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11章28節)
Posted on 03/19/2017 at 21:09, by matsumoto
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。(ヨハネ福音書12章3節)
- はじめに…先週、職場で認知症と、ICF(国際生活機能分類)の概念についての学びがありました。3事業所のうちのひとつの事業所は“認知症にやさしいケア”ということを特徴にしていますが、目指すべきは“認知症がやさしい社会(介護者)を創る”ということではないか、そんな思いを抱きました。現状(情報)をどう解釈するかで、生き方、関わり方がまったく違ってくる訳です。
- 過越の祭りの6日前…さて、今日のテキストは、過越の祭りの6日前の出来事です(ヨハネ12章1節)。先週は祭りの巡礼者が誤って墓や死体に触れて身を汚して祭りに参加できなくなることを防止するために、祭りの1カ月前には墓を白く塗って備えをするということを学びました。同様に、祭りを目前にして会計係だったユダは、準備のためにいろいろと算段を巡らしていたことでしょう。
- 何て無駄なことを…そのユダをはじめとするイエス様の弟子たちの目の前で、マリヤがナルドの香油300グラムを惜しげもなくイエス様に注いだのです。弟子たちは「なぜ、貧しい人に施さなかったのか」「何のために、こんなむだなことをするのか」(ヨハネ12章5節、マタイ26章8節)と憤慨しました。
- 埋葬の準備をしてくれた…その弟子たちの責めに対して、イエス様は「わたしの埋葬の用意をしてくれたのです」(ヨハネ12章12節)と、マリヤの行為を解釈(意味づけ)されました。当時のユダヤの若い女性は、新婚に備えて香油を準備していました。その貴重な香油をマリヤはすべてイエス様に注いだのです。大切なものを自分のためでもなく、他者への施しのためでもなく、時期を逸することなくイエス様のために用いたのです。その愛の行為が香りとなって部屋いっぱいに満ちました。
- 王・祭司・花婿なる主…その後、イエス様はエルサレムに入城され、群衆は「ホサナ! イスラエルの王」(ヨハネ12章13節)と叫びました。そしてイエス様は十字架で「完了した(花嫁になった/筆者私訳)」(ヨハネ19章30節)と言われ、霊を渡されました。イエス様は、十字架のあがないの愛で、すなわち花婿が花嫁を愛する愛を貫徹されたのです。(※ヘブル語で「完了した」と「花嫁」は同じ語根「カーラー」から成っている)
- 結び…新しい週、皆さん一人ひとりの在り方を花婿の花嫁に対する愛のまなざしを持って接してくださる主がおられます。
Posted on 03/12/2017 at 19:57, by matsumoto
女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。(ヨハネ黙示録12章6節)
- はじめに…今日は満月です。どうぞ今晩、夜空を見上げて見てください。次の満月の夜が「過越しの祭」(出エジプト12章参照)、その後に来る主日(日曜日)がイースター(4月16日)となります。つまり過越しの祭りのちょうど1カ月前ということになります。
- いじめ…昨日は「11」東日本大震災・福島第一原発事故から6年で、全国各地で追悼の集会が開催されたり、メディアで特集が組まれたりしました。少しずつ復興しつつあるとはいえ、今なお避難生活を余儀なくされている12万人超の人たちがおられます。しかし避難者に対する対応は極めて冷たいのが現実。「放射能がうつる」「帰れはいいじゃん」「賠償金もらってるんだろう」など、子ども達のいじめは深刻です。「いじめはね こころにきずが のこるんだ」。これは孫の作です。
- 世の終わりの前兆…イエス様は、世の終わり(終末)には、地震が起こり、偽預言者が出て、人々の愛が冷たくなると語られました(マタイ24章参照)。また当時の民衆のリーダーたちに対し「白く塗った墓」(同23章27節)と言って、叱責しました。外見は美しく立派に見えるが、内心は汚れている、偽善と不法で満ちていると。
- 白く塗った墓…ユダヤ人の墓は、毎年アダルの月の十五日(過越しの祭の1カ月前)に、石灰で白く塗る習慣があったと言われています。これは、人が知らずに墓に触れて身を汚すことのないようにするためでした。身が汚れると過越しの祭に参加できなくなるからです。
- ラザロの墓…しかしイエス様は、過越しの祭に参加するために身の汚れを避けることが第一のことではなく、一人の人の尊厳こそが最も大切だということを、身を持って示されました。過越しの祭の前、ラザロの葬られている墓へ近づき、居合わせた人々に墓の入り口の石に触れさせ、ラザロの包帯をほどかせました。汚れを避けることではなく、イエス様のみことばに応答して汚れを乗り越える(共に生きる)ことが、真実の過越しなのです。
- 結び…新しい週、イエス様の御声に応答し、出会う隣人の“内なる聖所”(神によって備えられた場所)に近づく皆さんであるよう、祈ります。
Posted on 03/05/2017 at 19:17, by matsumoto
女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。(ヨハネ黙示録12章6節)
- はじめに…私たちがいとすぎで牧会を始めてから今月末で丸7年が終わります。これまでの道のりは長かったような、短かったような…。ただ主の守りと導きがあったことは確信しています。
- 南アフリカ…私たちが韓国から日本に帰って来て、しばらく東京の教会に仕えていたことがあります。そのときベトナムへ行く機会があり、そこでセミナーがあり、講師が南アフリカで伝道していた韓国の牧師でした。その教会は“橋の下教会”という名称でした。その先生のあり方に共感を覚え、何か協力したいという願いが与えられていまたが、頓挫したままになっていました。そこに過日、Mさんご夫妻がいとすぎ教会を訪ねてくださり、ご主人が南アフリカ出身とのことで、再び、南アフリカが身近になりました。
- 7人の登場人物…さて今日は黙示録12章からみことばを聞きます。12章から13章にかけて大患難時代の後半の3年半に登場する7人の者があります。①太陽を来た一人の女(12章1節)、②女の産んだ男の子(同5節)、③残りの者(同17節)、④天使長ミカエル(同7節)、そして⑤赤い竜(同3節)、⑥海から来た獣(13章1節)、⑦地から来た獣(同11節)。その中で、一人の女に焦点を当てて、聖霊様にみことばの奥義を照らして頂きたいと思います。
- 女は男の子を産んだ…「女」とは誰で、また「男の子」とは誰でしょうか? そしてこのみことばは何を意味しているのでしょうか? 具体的には、「女」はイスラエル(霊的には旧約と新約を貫く神の教会)です。「男の子」はキリストです。そしてこれは旧約の預言の成就です(イザヤ7章14節、詩篇2篇8-9節参照)。
- 荒野に逃げた…「女は荒野に逃げ」ます。“走って逃げる”が原意ですから、敗走しているかのように見えます。しかし、その荒野には、「主が備えられた(=堅く立てられた、定められた)場所があった」と、みことばは告げています(出エジプト14章5節、ミカ4章1節、ヨハネ14章2節参照)。この世的には敗北のように見えても、今、私たちの立っているところに、主の大きなご計画と祝福があります。
- 結び…新しい月も、心騒がすことなく、主にある平安の中で過ごし、その生き様を通して主を証しする皆さんでありますように。
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