アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図◆アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、◆ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ(…)◆ サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ、◆エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、(…)◆ ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。(マタイ福音書1章1-16節)
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた◆ ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」◆ 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである◆ というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである◆ いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネ福音書1章14-18節)
神から遣わされたヨハネという人が現われた◆(…)彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである◆すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた◆この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった◆ この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった◆しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権(力)をお与えになった◆この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ福音書1章6-13節)
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。◆この方は、初めに神とともにおられた◆すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない◆この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった◆光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ福音書1章1-5節)
私たちの間ですでに確信されている出来事については、(多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、)◆初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、◆私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿◆それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。(ルカ福音書1章1-4節)