Posted on 01/26/2020 at 15:50, by matsumoto
そこで、アクラというポント生まれのユダヤ人および妻プリスキラに出会った。 (使徒の働き18章2節)
■ はじめに…先週は「長谷川式」と呼ばれる早期の認知症診断の検査指標となるテストを開発した長谷川和夫医師(90)を取り上げました。認知症医療・研究の第一人者自身が認知症になり、当事者となったときに、ノートにしたためたのは、Where are you? Where am I? Where is Mizuko? (あなたはどこにいるのか わたしはどこにいるのか 瑞子はどこにいるのか)でした。「Where are you? あなたはどこにいるのか」 は、アダムとエバが、食べてはいけないと禁じられていた善悪の知識の木の実を食べ、創造の父なる神から隠れた際、主ご自身が人間に対して呼びかけられたことばです(創世記3章9節)。つまり霊的な関係が切れた人間を見捨てず、見放さないで探し求める主の揺るぎない愛のことばです。
■ あなたとともにいる…その主の愛の表現であることばが身体を伴った、すなわち「ことばが人となった」(ヨハネ1章14節)のがイエス様ですが、その名は“インマヌエル”(神は私たちとともにおられる)と呼ばれる、そうマリヤに主の使いが語りました。同様に、迫害の続く中、宣教旅行を続けるパウロに、主は幻を通して「わたしがあなたとともにいる」(1コリント18章9節)と告げられました。
■ 出会いの祝福…目の前の現実がいかに厳しいものであっても、主からの語りかけ、みことばが私たちの確信になります。人生を生き抜く力の源です。また、ともにおられる主は、具体的な出会いの祝福も備えてくださいます。出会いを通してキリストの体を造り上げてくださいます。
■ アクラとプリスキラ…コリントにおけるアクラとプリスキラとの出会いは、パウロにとって大きな祝福でした。それぞれ主に忠実に仕えるなかで追い出されるようにしてたどり着いたコリントの地でした。同じような境遇にある者同士を主が結び合わせてくださり、ともにいてくださるイエス様の存在を、身をもって体験しつつ、さらに、境遇を超えていのちのみことばを分かち合っていく関係を深め、広げる基礎にしてくださる出会いでした(ローマ16章3-4節)。
■ 結び…私たちを探し出し、ともにいて、さらに豊かな出会いの祝福を与えてくださる主が、今日も皆さんを揺るぎない愛で愛してくださっています。主の恵みと平安が皆さんの上に豊かにありますように(1コリント1章3節他)。
Posted on 01/19/2020 at 15:43, by matsumoto
神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。 (使徒の働き17章31節)
■ はじめに…先日、NHKスペシャルで「認知症の第一人者が認知症になった」という番組がありました。認知症の第一人者というのは、介護、医療にかかわる方々には馴染みのある「長谷川式」と呼ばれる早期の認知症診断の検査指標となるテストを開発し、デイサービスの仕組みをつくり、「痴呆」ということばを「認知症」という呼び方に変え「パーソンセンタードケア」を提唱した長谷川和夫医師(90)です。今まで知らなかったのですが、クリスチャンで、しかも私たちの現在住んでいる愛知県春日井市生まれ。
■ テサロニケからベレヤそしてアテネ…さて、テサロニケで約3週間にわたって福音を伝えたパウロ。しかし、ここでも同胞ユダヤ人たちが迫害の手を伸ばしパウロたちを捕えようとしました。そして追手を逃れてベレヤへ。しかしねたみに燃えるユダヤ人たちは更に追いかけて来て、群衆を扇動して騒ぎを起こしました。更なる難を逃れるためにアテネへと歩を進めました。テサロニケからアテネまで、その距離約360km超。東京―名古屋間ほどの距離です。今後コリントへと向かい、そしてエルサレムへ帰り、再び同じルートをたどる第三次伝道旅行へと旅立つことになります。
■ 壱岐から韓国そして東京…私たちは現在、春日井の地(名古屋市北部)に落ち着いて丸10年を迎えますが、私たちにも宣教の遍歴があります。最初の赴任地の壱岐、学びと祈りの韓国、そして東京。それはパウロ同様、同胞、異郷の者からの迫害から逃れつつの宣教活動でした。それは同時に聖霊の導きです。
■ 確かさ…その聖霊を遣わすために創造の父によって主イエス様は地上に降り、苦難を身に受け十字架にお掛かりになり、死んで甦られたのです。「わたしはここにいる。あなたと共にいる」(マタイ1章23節参照)このイエス様の存在が神の国(キリストのからだ)を確信させ、生きる力の源なのです。そして自力では決して解決しない問題が起こった時には、イエス様に祈る。祈りによって再び力を得て、また働く。祈りはキリストの体なる教会の血液循環なのです。
■ 結び…いつまでも残るのは信仰と希望と愛です(1コリント13章13節)。信仰、希望、愛の根源であるイエス様が永遠に共にいてくださり、支え、生かされている確かさがあることを感謝します。
Posted on 01/12/2020 at 09:42, by matsumoto
パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに行った。そこにはユダヤ人の会堂があった。パウロは、いつものように人々のところに入って行き、三回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った。 (使徒の働き17章1-2節)
■ はじめに…私たちにはそれぞれ少なからず数十年来の親しい友があります。その一人ひとりと最初の一瞬の出会いがあった訳です。いつも顔を合わせて会っている訳ではありませんが、紆余曲折を経ながら、その友人関係は継続しています。
■ テサロニケ教会とパウロ…ピリピでの伝道の後、パウロ一行は、そのむち打ちの傷が完全に癒える間もなく、テサロニケへの地へ向かいました。そして約3週間にわたって福音を伝えました。このわずかな出会いからテサロニケ教会が生まれました。その後、テサロニケ教会とパウロの親密な交わりは、時間、空間を超えて深まっていきました。当然なことですが、単なる人間的な交友関係ではありませんでした。
■ 交わり…それは“信じる者の交わり”でした。それは “祈りを通じて繋がっている”時空を超えた交わりです。この世の交わりは物質的、限定的です。しかし、福音を信じ、主イエス様に包まれた交わりは、霊的、永続的です。パウロは、その福音の真理をわずか3週間で伝えたのです。それはパウロの人間的な能力を超えた聖霊の力によるものでした。私たちの力が0・00001と限りなくゼロに近かったとしても、無限大の聖霊の力が共にあるならば、私たちは無限大の力を発揮できるのです。
■ 働き、助け、祈る…その聖霊を遣わすために創造の父によって主イエス様は地上に降り、苦難を身に受け十字架にお掛かりになり、死んで甦られたのです。この福音を信じる者の交わりが神の国を確信させ、生きる力の源なのです。それは「働き―助け―祈る」生活です。自力では決して解決しない問題が起こった時には、祈る。祈りによって再び力を得て、また働く。そういう循環がテサロニケ教会にはあった、そして私たちそれぞれの教会にもあるのです。祈りはキリストの体なる教会の血液なのです。
■ 結び…パウロがどんなに迫害を受けても決して諦めることなく伝え続けた福音。私たちもその福音を信じ、働き、助け、祈る、キリストの体なる教会として、神の国の到来を待ち望みつつ、皆さんと共に、いきいきと生き続けたいと願っています。
Posted on 01/05/2020 at 17:25, by matsumoto
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。(Ⅰコリント人への手紙12章22節)
- はじめに…主の年2020年、最初の礼拝になりました。明けましておめでとうございます。今年も皆さんの上に主の祝福が豊かにあるようお祈りします。一方、年明け早々、不穏な事態がイラクで起こりました。アメリカの無人機(ドローン)のピンポイント空爆によってイランの司令官が暗殺され、今後、報復の連鎖が危惧されます。
- 平和のカケラ…今年のいとすぎ教会のテーマは『平和のカケラ ~We are The piece of Peace~』です。“平和のカケラ”。これは昨年のクリスマス・イヴ礼拝を捧げたとき、孫たちに「平和の君なるイエス様が武力ではなく、愛で平和を造られたように僕たちもイエス様の愛で仲良く生きていこう」とメッセージした後に、感想を聞いた際に返ってきた言葉です。イエス様の誕生を記念する礼拝で生まれた、いのちの言葉です。
- キリストのからだ…私たちは毎年、年始のあいさつをするために実家の両親を訪ねます。たいてい話題は健康のこと、車の免許更新のこと、そして時事のことになります。今年はれいわ新選組の二人の参議院議員のことが話題になりました。「自分一人では何もできない人に、議員が務まるのか?」という率直な疑問でした。戦後復興期に“働け、働け”と鼓舞され、油まみれ、ほこりまみれになって生きてきた両親には、生産性のない(ようにみえる)人の存在は、受け入れるキャパが無いのはもっともなことかも知れません。しかし聖書は「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです」といい、また、イエス様ご自身、病を負った人々や社会的弱者の側に立ち続け、決して見放しませんでした。イエス様に出会った人たちも同様でした(マルコ2章1-12節他参照)。イエス様を中心(頭)として、様ざまな賜物(特性)をもった人々が、それぞれの弱さ、足りなさに寄り添い、支え合い、助け合って生きていく、その生き様が、社会の物理的、精神的バリアを克服していく強力な力そのものです。
- 結び…私たち一人ひとりは、平和の君なるキリストのからだの部分として、“平和のカケラ”としてしっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して生きる(エペソ4章16節)真の自由があり、そこに真の喜び、そして真実の愛があります。弱さ、足りなさを持った一人ひとりが、キリストのからだには無くてはならない存在なのです。 We are The piece of Peace
Posted on 12/29/2019 at 22:09, by matsumoto
そのころ、エルサレムで、宮きよめの祭りがあった。時は冬であった。イエスは、宮の中で、ソロモンの廊を歩いておられた。(ヨハネによる福音書10章22-23節)
- はじめに…主の年2019年も最後の主日礼拝になりました。この一年を振り返ってみると、思いがけない方々の来訪から始まり、新しい出会い、そして秋田訪問、埼玉訪問、壱岐訪問、個人的には介護福祉士の国家試験受験と、目まぐるしい一年でした。その一つひとつの出来事と出会いの中でイエス様が、私たちの傍らに寄り添い、伴走し、励まし、慰め、御手を伸ばし助け起こして下さったことを思わずにはいられません。主に感謝!
- ハヌカー…さて、今日のテキストの「宮きよめの祭り」というのは、ユダヤ教徒が毎年クリスマスの時期にお祝いしている「ハヌカー」というお祭りです。中間時代と呼ばれる聖書の空白時代に勃発したいわゆる「マカベヤ戦争」がその由来です。紀元前2世紀頃、イスラエルのユダヤ人はシリアのギリシア人の支配下にあり、ユダヤ教を禁じ、ヘレニズム文明を押し付ける統治者の圧制に喘いでいました。特にアンティオコス4世は安息日を守ることやトーラーの勉強を禁じ、神殿にゼウス像を持ち込んだりしました。これ以上の圧制は堪えられないと、ユダヤ人たちはハスモン家のマタティアとその息子たちを中心に武装蜂起し、紀元前165年、エルサレム神殿を解放しました。神殿を占拠していたギリシア軍は燭台を灯す油の壷をみな破壊していましたが、解放軍は幸い一つ残されていた油壼を見つけます。その油は一日分にも満たなかったのです。ところが灯してみると奇跡的に八日間も燃え続けたことが伝承として語り継がれています。
- まことの光…今日のテキストは、奇跡的に八日間燃え続けた「奇跡の光」から約200年後、異教の民ギリシア人ではなくユダヤ人の指導者たちが霊的堕落に陥っていました。祭司長をはじめとする指導者たちが神のトーラーの道から外れて、人間の教え(解釈)と制度化した宗教の中で安逸をむさぼっていました。その闇の世に“まことの光”としてイエス様が立たれたのです(ヨハネ福音書1章9節参照)。この宮きよめの祭りの時期にイエス様はマリヤに受胎したのです。
- 結び…新しい主の年2020年を直前にして、ますます「まことの光」なるイエス様が、私たちの内なる聖霊様の油によって輝いています。