Posted on 01/17/2021 at 17:23, by matsumoto
死にて葬られ、陰府(よみ)に降り、 (①ペテロ3章19節、黙示録1章17-18節他参照)
- はじめに…私たちの親しい友人の一人で、今、大変な苦難の中にある方があります。その方の相談に眞津代牧師が乗る中で、その方が電話の向こうで「トンネルの闇の先に少し光が見える感じがします」と語っていました。
- 阪神淡路大震災…阪神淡路大震災から今日1月17日で26年が経過しました。私は当時、兵庫県西宮市の叔父宅にいて被災。この体験が、その後の人生の方向転換の原動力になっています。“常識や固定観念に捕らわれず、与えられた恵みを分かち合う”こと、震災直後の叔父の姿を通して学んだことです。
- 陰府に降り…さて使徒信条を継続して学んでいますが、本主日は“陰府に降り”です。陰府と地獄は別で、地獄はギリシア語でゲヘナ、陰府はハデス(ヘブル語ではシェオール)と訳されます。使徒信条は、イエス様が陰府に降ったと告白します。陰府とは、関係が断たれるところであり、神様に感謝も賛美も出来ないところです(詩篇88篇5節、6篇5節、イザヤ38章18節)。
- 陰府も主の御手のうち…しかし詩篇95篇4節に「地の深み=陰府は主の御手のうちにあり(…)」とあり、天地創造の主は、陰府を司ることもできる神だと、詩篇は告げています。さらに詩篇139篇8節では、「主は陰府にもおられる」とあり、詩篇16篇10節では「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず(…)」とあり、主は徹底して関係を持たれる方だということが語られます。
- セカンドチャンス…「生前に福音を聞かず、信仰を持たずに死んだ者は救われず、天国に行けず、残念だが地獄に行かざるを得ない」という主張がありますが、他方、死後にも福音を聞く機会はあるとの主張もあり、私たちはセカンドチャンスを信じています。黙示録1章17-18節ではイエス様が「死とハデスのかぎを持っている」と使徒ヨハネに語られたことが記されています。そして①ペテロ3章19節には「その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところ(=陰府)に行って、みことばを語られた」とあります。他にも使徒の働き2章24節、27節で、イエス様が墓の中に横たわったままの方ではなく、陰府に降り、解放してくださる方であることが告げられています。神様、隣人、自分自身との関係が途絶えてしまったと思える陰府に、そして私たちの生きている場にもイエス様の恵みは届けられています。
- 結び…今週も出会いを与えてくださる主に感謝し、恵みを分かち合い(パンを水の上に投げ)、主にある喜び、感動で一人ひとりの顔が輝くよう、祈ります。
《追記》
zoom参加を希望される方は、事前に電話連絡後、主日礼拝当日の10時15分-25分の間に
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※注意事項
①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除します)
②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります
Posted on 01/10/2021 at 17:38, by matsumoto
死にて葬られ、陰府(よみ)に降り、 (ヨハネ19章38-42節、マタイ27章57-60節、マルコ15章43-46節、ルカ23章50-53節参照)
- はじめに…私たちは、親しい人の死に際して、その人が生前に大切にしていた眼鏡だったり、帽子だったり、お気に入りの服などの遺品や、好きだったお花などを棺に納めます。しかしコロナ禍の今、そのような弔いが出来ない方々(あるいは受けられない方々)も多くいらっしゃると思います。しかし、そのような方々にイエス様は寄り添っておられると信じています。
- 人として死なれたイエス様…昨年から使徒信条を学んでいますが、今年も継続して学びます。本主日は「死にて葬られ、陰府(よみ)に降り」です。なぜ人として自明のことである“死ぬ”ということを、ことさら信条として告白するのでしょうか? かつて愛娘ルツ子の死に際して内村鑑三が友人に宛てた手紙に「娘の死状誠に美しく、是れ死には無之、transition(移行)に有之候、(…)是れcreed(信条)には無之、fact(事実)に有之候」と書き記しています。このことから思うに、イエス様の死を目の当たりにした使徒たちにとって、イエス様の死は、信条として告白してもし尽されない、絶対的な事実だったでしょう。
- アリマタヤのヨセフ…イエス様の死は、人生を刷新する出来事でした。人の目(ユダヤ人)を恐れてイエス様の弟子であることを隠していたサンヘドリンの議員だったアリマタヤのヨセフ。ピラトに十字架のイエス様のからだの取り降ろしを願い、自分の新しい墓に納めたのです。議員の立場やその保身のこだわりから解放されました。
- ニコデモ…もう一人の議員、かつて夜、こっそりイエス様のところへ訪ねたニコデモ。人目を憚らず没薬とアロエを混ぜ合わせたものを用意し、イエスのからだを取って、亜麻布で巻きました。まさに“新しく生まれた人”となったのです(ヨハネ3章1-16節参照)。
- 神の子として生きる…イエス様の死は、私たちの人生を新しくします。私たちを神の子として生きる者とします。人生、やり直すことに遅すぎるということはありません。イエス様はおっしゃいました。「死んでも生きる」と。十字架でイエスは父なる神に願われました。「彼らを赦してください」と。私たちは罪多き者です。しかし罪赦されて生きる者です。赦されて生きる者は神の子です。その人生は、死に際しても、死んだ後もイエス様が共に居てくださいます。
- 結び…罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ6章23節)
《追記》
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Posted on 01/03/2021 at 19:53, by matsumoto
『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後になって、あなたはそれを見いだそう。』(伝道者の書11章1節)
- はじめに…新しい主の年2021年が始まりました。今年の主題聖句は『あなたのパンを水の上に投げよ』(伝道者の書11章1節)です。
- パンの家…この聖句は昨年の待降節の黙想をしているときに、ふっと心に想いが来たみことばです。同時にイエス様が誕生された「ベツレヘム」が胸に迫って来ました。ベツレヘムを日本語に訳すと“パンの家”です。現在ベツレヘムの人口は約3万人ですから壱岐の島とほぼ同数です。
- パンを水の上に投げる…これは「港町における穀物貿易で用いていた比喩的表現で、危険をも恐れずに大胆に投資することによって、成功を収める時が来ることを意味している。」と解説されたりします。ダビデ王の時代に、商人の間では “投資”の格言として使われていたということです。イエス様はご自身のことを「天から下って来た生けるパン」(ヨハネ6章51節)とおっしゃいました。つまり、この天地創造の世界でもっとも大きな“投資”は、もっとも高い天の父なる神様が、愛する独り子イエス様(生けるいのちのパン)をもっとも低い地上に投げ入れられた(遣わされた)ことと言えます。
- もっとも大切なもの…私たち一人ひとりは神様から信頼され、イエス様から愛されている大切な存在です。私たち一人ひとりは、イエス様の宿られるベツレヘム、“パンの家”です。パンの家なる私たちの内でイエス様に対する信頼、信仰が成長し、隣人への愛が養われます。愛は大切なものを互いに分かち合います。みことばに促され、隣人にとって今、もっとも大切なもの必要なものを分かち合い、それが聖霊の喜び、感動として波紋のように私たちの内に広がります。
- 等身大の自分を投げる…私たちの友人が壱岐の海女さんの話をしてくれました。壱岐の海女さんはかつて“素潜り”だったそうです。上半身は裸で海に潜ったのだと。なぜなら海中に藻の森があり、潜水服を着て潜ると藻がまとわりついてしまって海女漁にならないためだそうです。ただ上半身裸のため、体が冷えて長く潜ることはできず、その人の身の丈の漁をしたら沖に上がって暖を取る必要がある訳です。すでに『循環型社会』はあったのだと。等身大の自分を、見えないけれども確かに備えられている主の恵みの上に投げ出すことが、自分自身と隣人を豊かにする、愛の営みなのです。
- 結び…新しい年、等身大の自分を、主の恵みの海原に向かって飛び込む一年となるよう、祈ります。
《追記》
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Posted on 12/27/2020 at 14:59, by matsumoto
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、(イザヤ書53章7節参照)
- はじめに…今年2020年もいよいよ最後の主日となりました。新型コロナウイルスに翻弄された一年でした。今年の七大ニュースは①ラブストーリー壱岐コンサート延期②岐阜県御嵩町「釈迦堂跡」でハート型手水鉢発見③S夫妻礼拝参加④リモート礼拝開始⑤近江八幡でヴォーリスの書『神に任せよ』との出会い⑥津田先生より『富田和久講演集』を頂く⑦うみのうたキリスト教会・千葉保幸伝道師召天/K姉教会へ返る、です。その一連の出来事のなかで来年2021年の主題聖句『あなたのパンを水の上に投げよ』(伝道者の書11章1節)が示されています。
- ポンテオ・ピラト…2020年最後の主日の学びは、使徒信条第4項です。第2項より「子なる神」についての信条が続きます。使徒信条に固有名詞として刻まれているポンテオ・ピラト。先週学んだイエス様の母マリヤ同様、歴史上、実在した人物です。ただ、みことばに身をゆだねたマリヤとは対照的に、人の顔色を窺うのに長けた、つまり自己保身に長けた人物でした。ピラトは、その有能な政治的手腕を買われ、ローマ帝国によって紀元26〜36年の約10年の間、パレスチナのうちのユダヤに駐在した総督(知事)でした(カイサリアで見つかった碑文で確認)。ゆえに職務としてユダヤの秩序維持・司法・経済の管理をし、①神殿の中にローマの神々と偶像を刻んだ盾(旗)をつるしたり、②神殿税を、水道橋建設に流用したり、そして③イエス様の裁判の手続きを行ったのです。37年には職を更迭されるのですが、伝承によれば後悔し、自殺したと伝えられています(それとは逆に、回心し、殉教したとの言い伝えもあり)。
- 子なる神③…使徒信条が告白する受肉したイエス様の特徴は、治癒者でも王でも預言者でもなく、受難者としての姿です。この地上で“苦しみを受け、十字架につけられ”た“苦難のしもべ”の姿です。①自らを十字架に吊るされ、②神と人の架け橋となり、③誰をも裁きませんでした。すべての罪人の罪を負い、赦しを宣言されました。ヘブル語による使徒信条3項の最初のことばは「苦しみを受け(=アーナー)」です。この語はイザヤ書53章7節(苦難のしもべの一節)に用いられています。他に身を低くする/へりくだる(ダエエル10章12節→受肉前のキリスト)・証言する(出エジプト20章16節→十戒(第9戒))・声を上げる/歌う(出エジプト15章21節→海のうた)に用いられています。
- 結び…受難のイエス様が私たちの苦難を知ってくださり、その上で、身を低くし、証しし、歌う者として私たちを招いてくださっています。
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Posted on 12/21/2020 at 07:56, by matsumoto
主は聖霊によりて宿り、処女(おとめ)マリヤより生まれ、(イザヤ書9章6-7節、ルカ1章26-38節、2章1-20節参照)
- はじめに…私たちはアドベント・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日はその4本目で「マリヤのキャンドル」です。マリヤが主の御言葉を受け入れ、御子イエス様をその胎に宿した、その従順、謙遜を象徴するキャンドルです。マリヤ自身、「ひどくとまどって(…)」(ルカ1章29節)と、聖書は率直に心の葛藤を伝えています。マリヤは受胎告知する御使いと問答するなかで「おことばどおりこの身になりますように」(ルカ1章38節)と、御使いのメッセージを受け入れました。ことばを耳で聞いて真の生命を懐妊した、科学の域を超える霊的な事柄です。これは自らのいのちを主に預ける覚悟、信仰による決断です。これは、とんでもなく大きな恵みの約束、裏返して言えば誰一人信じてくれそうもない出来事を、小さな身体で丸ごと受け止めた歴史的事実(真実)なのです。
- 子なる神②…アドベント第1主日から共に使徒信条のメッセージを聞いていますが、本日は第3項「主は聖霊によりて宿り、処女(おとめ)マリヤより生まれ」です(古ローマ信条では「主は聖霊および処女(おとめ)マリヤより生れ」となっています)。ヘブル語訳の使徒信条もありますが、その「聖霊により宿り」のところを日本語に訳すと「聖霊によって熱心に捜し求められた」となります。聖霊によって捜し求められ、見つけ出された一人として、今日、この告白を主と人の前で宣言したいと思います。
- 人となった神…父なる神のほとばしり出る愛は、聖霊の働きによってマリヤの胎に、その独り子イエス様を宿らせ、私たちとまったく同じ人間としてこの世に誕生させられました。最初の人アダム以来、私たち人間は、罪のDNA(原罪)を引き継いで生まれ、自分自身でその縄目を断ち切ることは決してできません。つまり父なる神の前に出ることのできない存在、父なる神の祝福から遠ざからざるを得ない存在です。罪の縄目を解くには、完全な贖い(罪の価の肩代わり)が必要なのです。罪を孕んだアダムとエバに皮衣を着せ、その命を保った創造の神は、私たちとの交わりを完全に回復するするため、罪なくまったく聖い独り子イエス様を世に送られました。そして主の贖いの死とその血によって私たちの罪を覆い、罪赦された者として主と共に永遠に生きる道を拓いてくださいました。
- 結び…自ら贖いの死によって私たちを生かす救い主として、聖霊によって宿りマリヤを母として、この世に来てくださった方主イエス様に栄光。
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