Posted on 08/01/2021 at 08:02, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『内側に築かれる宮』(イエス・キリストの生涯 その170)(2021.8.1)

そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そしてただちに宮の門が閉じられた。(使徒の働き21章30節)

  • はじめに…先週、裏庭の手作りの塀が完成しました。狭く、じめじめした感じがなくなり、明るく、広々したガーデンになりました。そうなると「次はどんなふうにしようか?」と創作意欲が沸いてきます。さしあたり次は可愛らしい倉庫を作ろうと構想を温めています。無から天地を造られ、愛によってエデンの園を造られた主から託された創造性を発揮したいと思います。
  • エルサレムに上らないで…さて、本主日はパウロの第三伝道旅行の終盤、ミレトから航路でツロ、カイザリヤへ。そこでの出会いと出来事です。ツロで出会った弟子たちはパウロにエルサレムに上らないように忠告しました。しかもそれは「聖霊の指示」だと。聖霊の指示によってパウロはエルサレムに上ろうとしている途上、他方で同じ聖霊の指示で弟子たちはエルサレムに上らないようにアドバイスするというのはなぜでしょう?
  • 愛している…パウロは弟子たちに別れを告げ、カイザリヤに着いてピリポの家に滞在しました。そこに“アガポ”という預言者がやって来て「こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡されると聖霊が告げている」と預言を語りました。それは忌まわしい預言に聞こえるため、ルカも他の人たちと一緒にパウロにエルサレムに上らないように頼みました。ツロの弟子たちにしろルカたちにしろ、パウロの行く末を案じて、愛ゆえにエルサレムに上らないようにと語ったのでしょう。それは愛の質において人間的な愛だったのではないでしょうか? だからパウロは「あなたがたは私の心を挫く」と言いました。イエス様がかつてペテロをしかって「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」とおっしゃいました(マルコ8章33節)。イエス様の愛は“アガペー”の愛、見返りを求めない、与えるだけの無条件の愛です。
  • 受刑者…パウロ一行は、エルサレムに上り、宮に入り、そこでエペソ人トロピモと一緒にいたことで町中が大騒ぎになったと、ルカは記しています。神殿の内庭に入るところには「外国人はだれも、神殿を取り巻くこの柵より内に入ってはならない。捕らえられた者は誰でも、その後、死の責任を取ることになる」と書かれた警告文が掲示されていました。宮の門は閉じられ、群衆は「彼を除け!」と叫び続けました。
  • 結び…イエス様は、人間的な愛と憎悪の壁を打ち壊して、真実の愛と平和を聖霊様によって私たちの内側に今日も建て続けています。
Posted on 07/25/2021 at 05:10, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『慰めは神の力』(イエス・キリストの生涯 その170)(2021.7.25)

人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。(使徒の働き20章12節)

  • はじめに…先主日は夏休みを頂き、友人の引っ越しの手伝いに出かけました。旧知の牧師も手助けしてくれ、サクサクと引っ越しは完了しました。友人が後ろ髪を引かれることなく、心を一新して歩めるよう願っています。
  • ユダヤ人の陰謀…「コロナはユダヤ人の陰謀」だとか、何か不都合な事や不可解な事が起こると、その原因は「ユダヤ人の陰謀」と決めつける風潮があります。そのように何でもユダヤ人(あるいは他者)に責任転嫁してスッキリ物事を片付けるのは、思考停止状態を作るだけで、何の解決も成長もありません。何か問題(危機)が発生したときに、どう対応するのかが大切です。今日のテキストの文脈では、パウロはギリシヤ―シリヤの海路をマケドニヤ経由の陸路へ旅程を変更しています(使徒の働き20章3節)。
  • 聖霊の縛り…パウロは眼前の問題を見て、自身の知識、経験、あるいは直観で行動しているのではなく、聖霊の導きに従って行動しました。「私にどんなことが起こるのかわかりません」と自身の限界を明確に語っています(同22節)。確かに陰謀や策略があるでしょう。そして数々の誘惑や試練もあるでしょう。傷つき、痛み、恐れや不安、気持ちがへこむこともあるでしょう。しかしパウロは、聖霊の導きの中で「益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせた」(同20節)と語っています。また「謙遜の限りを尽くし、涙をもって(…)主に仕えた」(同19節)とも語っています。
  • 慰め、励まし…なぜ、パウロは率直に語り、主に仕えることが出来たのでしょうか? それは聖霊様ご自身が“慰め主(パラクレートス)”だからです。傷つき、痛み、恐れ不安に苛まれ、気持ちがへこむ、弱い私たちを傍らに招いて下さる方だからです。greatly comforter(偉大なる慰め主)です。百パーセント聖霊様の慰め、励ましを身をもって顕されたのは主イエス様です。その主イエス様が、私たち一人ひとりをご自身の血をもって買い取ってくださり、キリストの体なる教会に連なる肢体として活かしてくださっています。
  • 結び…「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」(②コリント人への手紙1章4節)「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる(…)キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(同12章9節)
Posted on 07/11/2021 at 09:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『コリントでの思いがけない出会い』(イエス・キリストの生涯 その168)(2021.7.12)

ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。(使徒の働き18章2節)

  • はじめに…先週、礼拝後に、バラを見に「あいあいガーデニング」に行きました。社長さん(師匠)に以前、「カトリックの神父さんは妻帯しないけれどプロテスタントの牧師は妻帯します」と話した際、「親鸞と同じですね」と言われ、その続きを話したいと思っていました。つまりいわゆる“悪人正機説(あくにんしょうきせつ)”で「善人が救われるなら、悪人はなおさら救われないはずがない」という親鸞の教えと、「罪人を招くために来た」(マルコ2章17節)というイエス・キリストの救いの教えとは非常に似ているということです。
  • コリントへ…今日は、アテネでの宣教がある意味、不調に終わった後、そこを去り、コリントへ移動したところです。神の時と出会いとは絶妙で、ちょうどその頃、イタリヤから(追放されて)移住して来ていたユダヤ人夫妻、アクラとプリスキラに出会ったのです。しかも同じ職業の天幕作りだったのです。以前、メッセージでオリンピックのことを取り上げた際、オリンピックの参加者、観戦者が、アジア・ヨーロッパ各地から集まり、会場の外に天幕を張って野宿していたので、天幕職人の大きな収入源の一つだったとお話しました。一人でコツコツと出来るのは、きっと天幕用の皮をなめしたり、縫い合わせたり、小物のパーツを作るくらいだったでしょう。チームになることでもしかしたら天幕を張る(設置する)という仕事もできるようになったかも知れません。きっと仕事の幅は広がると同時に、宣教の幅も広がったことと思います。
  • プリスキラとアクラ…18節以降、夫妻の名の順序が逆転しています。夫妻の個性によるのかも知れません。アクラは、口数の少ない根っからの職人で、背後から支えるタイプで、率先して言葉をもってもてなしたり、慰めたり、あるいは導いたりするタイプがプリスキラだったのでしょう。伝統的な夫唱婦随ではなかったのでしょう。だからと言って婦唱夫随だった訳でもなく、お互いの持ち味を活かしあっていたのでしょう。
  • 結び…主は、私たちの思いをはるかに超えた広く長く高く深い愛のみこころをもって私たちを導いてくださっています。暗やみのただ中に光を照らしてくださり、絶望の淵に橋を架けてくださる方です。主に感謝します。
Posted on 07/04/2021 at 09:18, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『待ち合わせの場所で』(イエス・キリストの生涯 その167)(2021.7.4)

さて、アテネでふたり(シラスとテモテ)を待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。(使徒の働き17章16節)

  • はじめに…五輪開幕まで3週間を切りましたが、コロナ禍にあって五輪参加のため来日するアスリートの方や関係者のコロナ感染が連日報じられています。国内感染者数も再び増加傾向にあり、五輪によって更なる人流増加に拍車がかかり、重症患者や命を落とす方が再び増加することが懸念されます。関係する人々が、いのちを第一に考えて行動してくれるよう願っています。
  • アテネ…今日は、ピリピ、テサロケを経て、近代オリンピック発祥の地、アテネでのパウロの宣教です。古代アテネは芸術、学問、そして哲学の中心地でした。かの有名な哲学者ソクラテスやプラトン、アリストテレスが活躍しました。パウロはそのギリシヤ文化の中心、アテネの地に足を踏み入れました。そこで目にしたものは町中に溢れる偶像の数々でした。
  • ギリシヤ思想とキリスト信仰の邂逅…パウロはまずユダヤ教の会堂で論じ、その後、町の広場で論じ合いました。そこに当時の二大哲学会派、エピクロス派(快楽主義)とストア派(禁欲主義)の人々もいて、「このおしゃべり(=さえずる者)」「外国の神々(=ダイモニオン、鬼神)を伝える者」「めずらしいことを知りたい」と、アレオパゴス(市民評議会)に連れて行きました。そこでパウロは堰を切ったように語りだしました。それは、あたかも紀元前399年に同じ場所で、ソクラテスが裁判を受け弁明をしたかのようでした。
  • 「知られない神」…多神教のギリシヤですから、その名も存在も知らないために拝み損ねている神があれば、その怒りに触れるかも知れないので、それを回避するために「知られない神々に」と刻んだ祭壇を作って拝んでいました。この背景には、ストア派に影響を与えているソクラテスの「無知の知」の思想が反映しているのでしょう。それをパウロは「宗教心にあつい」と表現しています。「あなたたちは間違っている!」と糾弾してはいません。
  • 「よみがえりの主」…そして「知らずに拝んでいるものを教えましょう」と、福音を語り始めます。それは神々に並ぶもう一人の神でもなく、神々を一つに束ねる単一神ゼウスでもなく、創造主であり、仕えられる必要もなく、いのちを与え、義をもって世界をさばく方であることを、よみがえりの主を通して証ししてくださったと語りました。
  • 結び…よみがえりの主は、人間の想像や思考の産物(偶像)でもなく、単なる神霊でもなく、受肉し、十字架に掛かられ、私たちの贖いとなり、死んで復活されたイエス様です。福音の恵みを感謝します。
Posted on 06/27/2021 at 09:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『喜びのライフ・クリエーター』(イエス・キリストの生涯 その166)(2021.6.27)

それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じた(御国の市民権を得た)ことを心から喜んだ(使徒の働き16章34節)

  • はじめに…コロナ禍の中で、若者と女性の自殺者が増加していることを耳にします。悩みや課題が連鎖する中で、「もう生きられない」「死ぬしかない」と、追い込まれた末に亡くなっていると言います。その人たちは①仕事を失い、②生活のために借金を重ね、それが多重債務となる中で、③家族の関係が悪化、④精神的にも追い詰められてうつ状態になる「自殺の危機経路」と呼ばれる4つの悩みや課題を抱えていたことが分かっています。パウロは叫びました。「自害(自殺)してはいけない。私たちはみなここにいる」
  • 獄中賛美…先主日は、占いの霊につかれた女奴隷をパウロが解放した出来事をみました。今日はその続きで、金儲けの途が断たれた女奴隷の主人たちにパウロとシラスは裁判のために引き出され、その訴えを聴いた長官(裁判官)たちによって、何度も鞭打たれ、そして投獄されてしまいました。この裁判で、パウロとシラスは、ローマ市民権を持っていることを明かしていません。もしその事を主張すれば、鞭打ちも投獄も避けられたでしょう。投獄されたその日の真夜中、現実的には先の見通しが立たず、また鞭打たれた痛みの中にあるにもかかわらず、ふたりは祈りと賛美を神に捧げました。神に対する祈りと賛美が、彼らのすべてであり、生きる希望そのものでした。
  • 大地震…その時、大地震が起こったのです。祈りと賛美によってこの大地震が起きたとしか言いようのない絶妙のタイミングです。パウロとシラスにとっては、この大地震は解放の出来事でした。鎖が解け、牢の扉が全部あいたのです。一方、牢の見張り番の看守にとっては、職業人生の土台が崩れる出来事でした。囚人たちを逃がしてしまったと思い「もう生きられない」「死ぬしかない」と、すぐさま剣を抜き、自殺を図ろうとしたのです。
  • 自害してはいけない!…パウロは間髪を入れず、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」(使徒の働き16章28節)と叫びました。パウロは看守とその家族に対する、この地上でのいのち(ビオス)を支える働き(ライフ・サポーター)とともに、主につながっている永遠のいのち(ゾーエー)の創造の働き(ライフ・クリエーター)を、ピリピで行なったのです。ルデヤ家族に続き、二組目の主にある家族(御国の市民権を持つ者)の誕生をともに喜びました。
  • 結び…御国の市民権を持つ者として、イエス様の生き様を語り、振る舞いを通して、今、窮地に陥っている隣人に心を寄せ、寄り添う一人ひとりであるよう、お祈りします。
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