Posted on 09/05/2021 at 08:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『人生の羅針盤』(イエス・キリストの生涯 その175)(2021.9.5)

かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危険と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言った。(使徒の働き27章9-10節)

  • はじめに…2021年(ユダヤ暦5782年)のユダヤの新年(ローシュ・ハシャナー)は今週の火曜日(9月7日)から始まります。そして10日後の16日が贖罪の日(ヨム・キプール)、15日後の21日から仮庵の祭り(スコット)が始まります。ちなみに2021年は7年に一度の安息年(シェミッター)です。負債を免除し、奴隷を解放し、土地を休ませる年です(申命記15章1-3節、レビ記25章4-5節、出エジプト記23章11節参照)
  • 断食の季節…いよいよ囚人パウロのローマへの移送です。今日のテキストで「断食の季節」とありますが、これは贖罪の日(ヨム・キプール)における断食を指していると考えられます。つまり仮庵の祭りの時期を過ぎると一気に冬の気候へと変わり、地中海の海は時化で大荒れになります。この当時、船での航行は太陽と星で進行方向を確認していました。まだ羅針盤がありませんでしたから、黒雲に覆われると、進むべき方向を見定めることが出来なくなり、航海は非常に危険に晒されました。そのことをパウロはよく知っていました。航海士や船長にいたっては、なお更のことです。それ故、多少リスクがあったとしても、これまでに培ってきた知識と経験から回避できると考えたのでしょう。穏やかな南風が吹くやいなや、パウロの忠告を無視して冬を越すための快適な港を目指して出帆しました。
  • 絶望の淵で…案の定、船はユーラクロンという暴風に翻弄され、パウロの忠告した通りの結果になりました。しかしパウロは「だから言わんこっちゃない…」と言いながらも、皆が望を失わざるを得ない状況の中で、あきらめることなく希望と励ましの声を掛けます。「元気を出しなさい。いのちを失う者はひとりもない。(主が)私に告げられたとおりになると信じています」(使徒の働き27章22-26節)
  • 人生の羅針盤…人が①知識経験(知)に頼り、②自己利益(欲)に動かされ、③所有(物)に執着し、④自己の命(肉)を惜しむ人生を歩むとき、それは方向を見失った難破船に乗っている人生と言えます。進むべき方向を明確に指し示すのは“人生の羅針盤”なる福音、みことば、主イエス様です。
  • 結び…今、あなたの人生がたとえ暴風、荒波に翻弄されていても、確かな希望を指し示し、支えて下さる主イエス様があなたと共にいて下さいます。
Posted on 08/29/2021 at 09:17, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『天からの啓示にそむかず』(イエス・キリストの生涯 その174)(2021.8.29)

それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、(…)(使徒の働き26章18-19節) 

  • はじめに…先週26日の夕方、アフガニスタンの首都カブールの空港で死者百人を超える爆破テロが発生しました。なぜ、テロはなくならないのか。アフガニスタンで活動した医師の中村哲さんが、参考人として招かれた国会で発言している。「土壌、根っこの背景からなくしていかないと、ただ、たたけ、たたけというげんこつだけではテロはなくならない」(8月28日付『中日春秋』より)。
  • テロリスト・パウロ?…今日の箇所で、パウロはアグリッパ王の前で弁明(回心の証し)をしています。ナザレ人イエスの名に強硬に敵対し、聖徒たちが殺されるときには、それに賛成し、罰し、強いて御名をけがすことばを言わせようと激しい怒りに燃えて彼らを追跡したと、かつて自身がキリスト者(この道の者)を誰彼となく標的にしていたと、あたかもテロリストのようだったことを表白しています。そのパウロに復活の主が、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ』(使徒の働き26章14節)と語りかけられたというのです。
  • とげのついた棒と天からの啓示…“とげのついた棒をける”というのは、広く用いられていた格言です。当時、牛に鋤を引かせ畑を耕していたのですが、歩みを止めたり、歩みが逸れたりした時、主人がとげのついた棒で叩いて、牛を操縦していました。しかし牛にも気分の悪い時もあり、自らとげのついた棒を蹴ったりすることがあり、そうすると当然、痛い訳です。パウロは気が付いたのです。死者の復活、メシアの到来は信じていたけれども、木(十字架)につるされて死んだ者は神に呪われた者(申命記21章22-23節参照)であるので、ナザレ人イエスは呪われた者であってメシアではないというかつての確信は、真理ではなかったのだと。そうではなくてイエス・キリストが私たちのために呪われた者となって、私たちを律法の呪いから贖い出して下さり(ガラテヤ3章13節参照)、罪の赦しを得させ、御国を受け継がせて下さるという“天からの啓示”を確信し、アグリッパの前で大胆に証したのです(使徒の働き26章18-20節参照)。そして鎖に繋がれたパウロは預言どおりローマへと導かれることとなります(同23章11節参照)
  • 結び…罪の赦しと御国の希望を胸に歩ませて頂けることを主に感謝します。
Posted on 08/22/2021 at 10:13, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主のあたたかい愛』(イエス・キリストの生涯 その173)(2021.8.22)

しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう。」と言った。(使徒の働き24章25節)

  • はじめに…先週、アクション俳優の千葉真一さんが亡くなったとの報道がありました。芸名「JJサニー千葉」のJJは、ジャスティス(正義)とジャパンだと中日春秋にありました。内村鑑三も“二つのJ”を愛しました。ジーザスとジャパンです。内村鑑三はこう記しています。「私どもにとりましては、愛すべき名とては、天上天下ただ二つあるのみです。イエス・キリストと日本国(…)この愛すべき二つの名のために、私どもの生命をささげようとおもうものです」。
  • もう一つのJ…今日の箇所で、パウロは“もう一つのJ”を取り上げています。ジャッジメント(審判)です。ペリクス同様、決定的な審判の前に、私たちは恐れます。正義と節制には程遠く、本質として不正義と不節制な存在であることを認めざるを得ないからです。パウロの語る正義と節制、そして審判の前に、ペリクスは耳が痛かったでしょうし、良心の呵責を多少なりとも感じたことでしょう。残念なのは、生き方の方向転換(悔い改め)に至らなかったことです。ヨハネ3章18節にある通りです。「(御子イエスを)信じない者は、すでにさばかれている」
  • 愛…天地創造の神は、愛ゆえに御子イエス様をこの世に遣わされたのです。永遠のいのちを持つため、すなわち、イエス様の差し出す御手を握りしめるようにするためです。さばくためではなく、救うため(ヨハネ福音書3章17節)です。パウロ自身もローマ人への手紙の中に記しています。キリスト・イエスにある(つながっている)者が罪に定められることは決してない」「どんなものも主イエス・キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない」 (ローマ8章1節、39節) 。愛とは、私たちの罪を贖うために身代わりとなって十字架の苦しみと死を体験し、さらに復活した主イエス様が御手を伸ばし、暗闇の世に溺れて死にかかってる者を救い出そうとしている、その愛を身にしみて実感するものだということができるのでしょう。元駐ギリシャ大使の齋木俊男氏は自身のうつ病の経験を経て愛の本質を「愛は相手を大切に感じるあたたかい感情である」と述べています。イエス様の私たちに対する愛そのものです。そこから溢れる感情は喜び(JOY)です。
  • 結び…聖霊様が祈りの中で、私たちの内側からイエス様の愛を湧きあがらせてくださり、主のあたたかい愛を実感させてくださることを感謝します。
Posted on 08/15/2021 at 19:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『パウロ殺害の陰謀』(イエス・キリストの生涯 その172)(2021.8.15)

ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営にはいってパウロにそれを知らせた。(使徒の働き23章16節)

  • はじめに…本日8月15日は、「敗戦(終戦)記念日」です。隣国韓国では光復節(광복절)としています。 いずれにおいても戦い、そして憎悪といった暗闇の世から解放され、希望の光が心の奥底にまで差し込む記念として共々に今日の日を覚えられたらと思います。
  • 良心…人間の科学は顕微鏡と望遠鏡の発達とともに進んできたと言っても過言ではないでしょう。高性能の望遠鏡で宇宙の成り立ちが解明されつつあり、精密な顕微鏡で人間を含む生き物、物質の構造が解明され、医学の発達によって不治の病とされていた様々な病気の治療が可能になってきました。ただ科学的知識は人類社会に幸福をもたらすと同時に不幸をももたらす諸刃の剣です。知識の蓄積とともに大切なのが“良心”です。パウロは「全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました」(使徒の働き23章1節)と議会で語っています。良心について、かつてある人が「善き良心は天国を眺める最良の望遠鏡である」と述べています。とすると「天国を目指して、主とともに生活して来ました」とパウロのことばを言い換えることができるでしょう。同志社大学の正門に「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来(きた)らん事を」 (良心が全身に充満した青年が現れることを)と記された良心碑があります。
  • 夜…昼、地にて働き、夜、天に想いを向けて祈る、これが良心をもって生活することでしょう。そのルーティンの中で “その夜(The Night)”主がパウロに語られました。「勇気を出しなさい」(使徒23章11節、同16章9節、同18章9節)。夜、祈る時、すなわち全き良心に満ちる時、主によって力が与えられ、道が示されたのです。そのパウロの薫陶(くんとう)を受けた若者たちが福音の証し人として立てられていきました。テモテしかり、テトスしかり。そして今日のテキストに登場する“パウロの姉妹の子”しかり。と言ってもパウロも欠けも弱さももった人の子。しかし欠点、弱さがあるゆえに、主の恵みが注がれ、主を仰ぎ見る生涯を全うし得たのでしょう。
  • 結び…新しい週の一日一日、主を見上げて主とともに生活するルーティンのなかで、力を得て歩ませていただきたいと切に願います。
Posted on 08/08/2021 at 09:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『回心(コンバージョン)の証し』(イエス・キリストの生涯 その171)(2021.8.8)

あなたはその方(イエス・キリスト)のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。(使徒の働き22章15節)

  • はじめに…8月6日、広島で平和祈念式が開催されました。一人ひとりの小さな行動が、核のない世界の実現に向けた力ある重要な一歩である、そんなメッセージが広島市長から発せられました。かつてオリンピックメダリストでノーベル平和賞受賞者のフィリップ・ノエルベーカー氏は1959年の平和賞受賞講演で次のように話しました。「困難なことというのは、少し時間のかかることです。不可能なことというのは、さらにもう少し時間のかかることです」と。時間はかかるが、核のない世界は実現可能なのだ、だから私は失望しないし、皆さんもあきらめないで下さいということでしょう。
  • 回心の証し…今日の箇所は、第三伝道旅行を終えたパウロがエルサレム神殿で民衆に向かって、自らの回心の証しを行なったところです。かの有名な“ダマスコ途上での回心”です。パウロはダマスコにある諸会堂あてに“逮捕令状”ならぬ大祭司の承認を得た手紙を携えて、鼻息荒くダマスコへ向けて旅立ちました。ところがその途中、天からの光に打たれ、地に倒れ、目も見えなくなったのです。そこで声を聞いたのです。「サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と。それはイエス様ご自身の御声でした。「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ」(使徒の働き22章7-8節)
  • 計画更新…デイサービスでは、サービスを提供する際、介護計画書を作成します。計画には課題と目標があり、定められた期間が来たら、計画の見直し、更新をします。それには本人の同意が必要です。主は、私たち一人ひとりに対して計画を持っておられます。計画の継続もありますし、小さな変更、ある時には大幅な方針転換もあります。パウロに対しては、キリスト(信仰者)の迫害者からキリストの福音宣教者への劇的な計画内容の変更がありました。主ご自身に対して迫害を加える者だからといって罰を加えるどころか、恵みによって信仰を与えられました。そして異邦人(を含むすへての人)への福音の宣教者としての使命を与えられたのです。役に立たないと見捨てるのではなく、選びの器として用いられるのです(使徒の働き9章15節)。私たちを決してあきらめないお方、愛をもって伴ってくださる方が、主イエス様です。その主のご計画に対する同意が“バプテスマ”と言えるでしょう。
  • 結び…主イエス様の私たち一人ひとりに対する愛のご計画(御心)は、実行がとても難しく、不可能にも思えるものですが、必ず主が共にいて成し遂げてくださることに信頼して歩ませて頂けるよう祈ります。
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