Posted on 03/12/2023 at 21:41, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス様の活きたことば』(新約に引用されている旧約 その40)(2023.3.12)

まことに、みことば(ダーバール)は、あなたのごく近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。(申命記30章14節) /では、どう言っていますか。「みことば(レーマ)は あなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばです。(ローマ10章8節)

◆はじめに…今年2023年のイースターは4月9日になります。そのイースター前の40日(主日は除く)はレント(受難節あるいは四旬節)としてイエス様の受難を覚える時です。今はその真っ只中の時を過ごしています。イエス様の受難は、私たち一人ひとりの罪の贖いとなって十字架にお掛かりになられ、死んで陰府に降られ、三日目に復活して永遠のいのちを与えてくださった、救いの御業です。私たちはイエス様の活きた言葉を聞いて不確かな世にあっても平安に生きられます。

◆みことばは近くにある…今日のテキストの主題は、“みことばに信頼して生きる”あるいは“みことばに信頼して生きよ”です。私たちも人生の指針となることばや書物(愛唱聖句、聖書)を身近なところに置いているのではないでしょうか? というより今は手のひらに乗せたスマホで検索するという時代です。旧約時代から、正統派ユダヤ人は「テフィリン」(申命記6章8節参照)を着用して、み言葉を唱え、祈ってきました。いわゆる“シェマー朗唱”です。みことばは、ヘブル語では「ダーバール」、ギリシャ語では「レーマ」です。

◆活きたみことば…パウロ自身、「テフィリン」を着用して誰よりも熱心に祈ったことでしょう。繰り返し繰り返し。もしパウロが現代に生きていたなら私たち同様、スマホで聖句を検索し、メッセージ動画を閲覧していたかも知れません。むしろ自身で動画配信するユーチューバーになっていたでしょう。しかし、パウロは薄々気づいていたでしょう。シェマー朗唱しても、善行を積み重ねても、律法を教えても、スマホで律法を検索し、学びの動画を配信しても、言葉が出来事にならないと。そんなパウロに復活の主イエス様が出会い、声を掛け、活きたみことば(レーマ)を語られたのです。それはパウロの人生を180度転換させる出来事となったのです。律法を教える者から、ことばが肉体となったイエス様を伝える者へと変えられました。あなたの人生もイエス様の活きたみことばよってまったく新しく造り変えられる、そう、パウロは私たちに語りかけています。

◆結び…受難節のとき、ともに静かにイエス様の活けるみことばに耳を傾け、お互いに主の出来事を証ししあい、日々、新しく造り変えられ、成長させてくださる主に感謝します。「神の国は、あなたがたのただ中にある」(ルカ17章21節)

Posted on 03/05/2023 at 19:17, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『非暴力抵抗』(新約に引用されている旧約 その39)(2023.3.5)

あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。(申命記19章21節) /『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかしわたしはあなたがたに言います(…)(マタイ5章38、39a節)

 

◆はじめに…ウクライナ・ロシア戦争は一年を越え、建物は破壊され続け、いのちは失われ続けています。そんな中、兵庫県西宮市の福祉施設が「使い捨てカイロ」を集めてウクライナに届ける活動をしています。現地では「こんなに温かくなるなんて信じられない。日本人が作った奇跡だ」と、マイナス20度にもなる極寒のウクライナの人々の生きる希望に繋がっています。

◆目には目、歯には歯…今日のテキストの主題は、過剰な報復を予防する教えです。旧約の律法は、「やられたらやられた分だけやり返す。ただしそれ以上はダメ。それで完了」ということですが、イエス様は「しかしわたしはあなたがたに言います」と言い、いわゆる「愛敵」のみことばを語られました。それは「やられたらやられっぱなし」の黙認、無抵抗主義ではありません

◆非暴力抵抗…それは“非暴力抵抗”です。以前、「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」と言うのは、主人が奴隷を叩く際、右手の甲で奴隷の右の頬を叩いた、主従関係(不平等)の中での行為だったところ、それへの抵抗として左の頬を向け、右手の掌で打つように要求する、つまり対等な者(神の子ども)同士なのだということを決定的に明らかにする振る舞いだとお話しました。それに続く「下着を取ろうとする者には上着も」「一ミリオン(約1500メートル)行けと強いる者とは、いっしょに二ミリオン」も同様です。経済的、社会的な抑圧の中にあって、強者の言いなりになるしかないという様な状況で、暴力を用いず、誤った法律理解、慣習に抗い、自ら主導権を取って相手に選択を考えさせるという振る舞いです。イエス様のみことばによる“気前の良さ”(非暴力抵抗)は、お互い、神に愛されている子どもであり、尊厳をもっている一人の尊い人間であることを見直す機会になります

◆結び…天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださいます。そしてイエス様はすべての罪人の罪を贖うために、いのちを捨てられました。主が私たち一人ひとりを愛してくださり、恵みを与え、いのちを与えてくださっていることに感謝します。

Posted on 03/05/2023 at 01:12, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ひとりの預言者』(新約に引用されている旧約 その38)(2023.2.26)

あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない(申命記18章15節) /モーセはこう言いました『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい』 (使徒の働き3章22節)

◆はじめに…今、私が勤めるデイサービスは、3月末のサービス終了に向けて、利用者さんの次の行先への引継ぎをしています。利用最終日には、別れを惜しみつつ思い出の品として記念写真と根付を手渡しています。サービス利用期間の長い方で10年、短い方で1、2年、その存在に癒されたり、煩わされたり、悲喜こもごもでしたが、心の中で一人ひとりの祝福を祈りつつ、送り出しています。

◆聞いて行う…今日のテキストの主題は、主の声を民の代表として聞いた者、すなわち預言者の告げることを、民が聞いて行うことが、しあわせであり、祝福の道だということです。そのことをモーセはカナンの地を前にして語り、ペテロはイエス様の再臨、新天新地を望みつつ語りました。そのしるしとして、足の不自由な者が立ち、歩き、跳ね、賛美し、宮へ入るという出来事が起こされました。

◆私のようなひとりの預言者…カナンの地を前にしてモーセが語った「私のような(私を立てられたように)ひとりの預言者を起こされる」は、この文脈では後継者のヨシュアを指していると解釈するのが自然です。実際、モーセの死後、カナンの地に入ったイスラエルの民を導いたのはヨシュアでしたし、ヨシュアは主の声を聞いて(主からことばを預かり)、それに従って民を導きました。ただし、申命記の最終章には「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった」(申命記34章10節)とあることから、霊的側面(主との親密な関係)においてはモーセに遠く及ばなかったと言えます。モーセ自身も、その深い潜在意識において待ち望んでいた真の預言者の到来は、イエス様まで待たなければなりませんでした。

◆預言の成就…預言の成就としてイエス様がこの世に遣わされました。預言(神のことば)は主のみこころです。主のみこころは、私たちが生きること、しあわせになること、祝福を受けることです。私たちの「いのちの君(=源)」はイエス様です。イエス様だけが救い=神様との親密な関係を回復させて下さる方なのです。主イエス様ご自身が、私たちの相続地(遺産・贈与)であり、すでに私たちにその新天新地の継承(引継ぎ)が約束されています。

◆結び…私たち一人ひとりを祝福して下さっている主イエス様に感謝します。

Posted on 02/20/2023 at 20:13, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『罪を取り除かれるイエス様』(新約に引用されている旧約 その37)(2023.2.19)

そして証人の手が最初に彼の上にあり、あなたは殺し、民の手は最後になる。そしてあなたは彼らの中から悪人を取り除かなければならない(申命記17章7節/七十人訳の日本語訳) /外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい (①コリント5章13節)

◆はじめに…今年になって背中に出来たアテローマが少しずつ大きくなって痛みだし、昨日患部の切開術を受けました。アテローマは、本来、体外に排出されるはずの古い角質や皮脂が、皮膚内部に形成された袋の中に溜まってしまうものです。 “膿を出す”ということわざがありますが、化膿した部分を切開して膿をすべて取り除き、蓄積された悪い習慣や弊害などを根本から取り除き、本来の姿に回復すること、それが今日のみことばのテーマです。

◆悪(罪)を除く…今日のテキストにおける悪い習慣や弊害は、偶像崇拝・不品行です。ただそれを形式(律法)的に裁き、懲らしめ、最終的に死刑に処するといったことではありません。軽率な告発を思いとどまらせ、悔い改め(人生のやり直し)の機会をつくることが、主ご自身の本来の目的です。そのため裁く者も、罪を裁かれる者も、主の前で慎み深く、かつ、責任を持つことが求められます。旧約時代、偶像崇拝は極刑(石打ち刑)が定められていました。ですから最初の目撃(証言)者が、最初に石を投げることになっていました。ですから最も重い責任を負わされていた訳です。

◆肉を滅ぼす…事情は、パウロの生きた時代も同じでした。ただ、コリントの教会は世の流れに抗うことをせず、むしろ偶像崇拝の世に同調し、不品行が教会内部にもまん延し、放任状態だったようです。「(…)あなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかった」(①コリント5章2節)とパウロはコリント教会の人たちの姿を指摘し、「肉が滅ぼされるためにサタン(世)に引き渡した」(同5節)と、裁きを宣告しています。しかし、これは単に教会から破門(除名)することが目的ではなく、「彼の霊が主の日に救われるため」(同)と、世の荒波の中で病、苦難、生死の境(すなわち“肉の滅び”体験)を経験することで、結果として悔い改めと救いに与るためなのだ、そうパウロは語ります。

◆罪のない者が最初に石を投げよ…イエス様も、裁きを命じます。「罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」(ヨハネ8章7節)。このイエス様の律法に基づきながらも律法を超え、愛の律法の本質を貫くみことばによって、裁く者には自らを省みさせ、裁かれる者には新しい人生のやり直しの機会を作りました。

◆結び…私たち一人ひとりの罪を取り除いてくださる主イエス様に感謝します。

Posted on 02/13/2023 at 21:14, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『人はパンだけで生きるのではない』(新約に引用されている旧約 その36)(2023.2.12)

それで主は、(…)あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということをあなたにわからせるためであった(申命記8章3節) /イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある」 (マタイ福音書4章4節)

◆はじめに…先週2月6日、トルコ南東部(シリアとの国境付近)で大地震が発生し、現在約2万5千人の死亡者が出ています。生存率が大幅に下がる72時間を過ぎても、各国から入った救助隊によって救出され一命をとりとめる人々もあります。なかでも最大規模の450人を派遣したイスラエル軍の部隊は7日以降、カフラマンマラシュで19人を救出し、9~10日には約40時間かけて、住宅から9歳の少年を含む家族3人を救出することに成功したと地元メディアが報じています。今回の大地震で、宗教の枠を超えて、被災した人々を救い出すために間髪入れず動いたイスラエルの対応に敬意を表します。

◆救いの熱情…今回の大地震が発生したトルコ南東部は、使徒パウロの生まれ故郷タルソを含む地域であり、また、パウロの異邦人伝道の拠点となったアンテオケもすぐ近くです。約2千年前、聖霊の感動に突き動かされ、「何としても救いたい!」という一心で、ユダヤ教の枠を超えて異邦人伝道へ赴いた、そのパウロのパッションと、イスラエルの救助隊の「助けたい!」という熱情が時代を越えて重なって響きます。

◆マナ…今日のテキストは“民のつぶやきにマナをもって応えられる神”“サタンの誘惑を、みことばでもって退けられるイエス様”です。神様はイスラエルの民の荒野の40年を導かれました。飢えとともにマナを与えられました。つぶやきに変えて主を賛美して生きることを学ばせるためでした。主を忘れることのないようにするためでした。そして主を心に据えて生きるようにするためでした。

◆神のことば(いのちのパン)…イエス様は荒野でサタンの誘惑に遭い、みことばで誘惑を退けられました。最初の人アダムとエバが蛇(サタン)に唆され、その声に従ったため全人類に入った罪(死)を、みことばによって退けられました。「石にパンになるよう命じたら」というサタンの誘惑に「“パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる”と(聖書に)書いてある」(塚本訳)と。

◆結び…私たちの霊・魂・身体をこの世の権威・科学・経済で揺るがし、破壊しようとするこの世の支配者の策略から私たちを救い出してくださる主に感謝。

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