Posted on 01/22/2012 at 06:29, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『介護と霊性』(2012.1.22)

今日のみことば buy baclofen xr australia . baclofen libre. baclofen cash delivery cod buy baclofen online no prescription canadian pharmacy baclofen at lyme regis now buy nov 26, 2014 – buy cheap generic prednisone online without prescription apo prednisone prednisone online kopen buy prednisone online now prednisone 

buy zoloft online without prescription at worldwide drugstore. lowest price and best quality guaranteed! 24h online support, absolute anonymity & fast  イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。(ヨハネ2章19-21節)                                                                 

■    はじめに…先週のはじめ、義父はアルツハイマーという診断が出ました。その知らせを聞いて一瞬、ショックを受けましたが、傷病名がハッキリしたことで義父の不可解な行動に対して受け入れる心の備えをさせてもらえたと思えば、戸惑いはなくなりました。ある意味、腹をくくって家族で対処できるようになったと思います。

■    知らないもう一人の自分…脳が壊れていく中で、義父は“知らないもう一人の自分”と折り合いをつけようとしています。夜中に叫んだり、トイレでお漏らししたりする自分を、義父は知らないのです。それを知っていて、被害を被っているのは周りの家族だけです。とにかく(家内の)仕事を増やしてくれます。真夜中のトイレ掃除に捜し物、薬の処方に入浴介助に着替えの手伝い…。そのことを「お父さん、知ってる?」と聞くと、「ほう、そうか。ゴメンなさい」と義父。

■    壊れやすさ…ユダヤ人の結婚式の最後、花婿がグラスを踏み砕きます。このことで人生と幸福の壊れやすさを熟考すると言います。さらにそれをエルサレム神殿の破壊の出来事と結びつけて聖性の炎を消そうとする世界の悪の象徴に関連づけると言います。

■    霊的神殿…カナの婚礼で、水をぶどう酒に変える奇跡をなされたイエス様は、その後、宮きよめをされ、詰め寄るユダヤ人たちに対して「神殿を壊してみよ」とおっしゃいました。事実、紀元70年にローマ軍によって神殿は完全に破壊され、現在“嘆きの壁”といわれる西壁の一部が残るだけとなっています。神殿が再建されず、ことごとく破壊されたままになっている霊的な意味は何でしょうか。それは、立派な建物が神殿ではなく、十字架で肉を裂かれ(破壊され)、三日後に復活されたイエス様が霊的な神殿だということです。そこから聖霊が遣わされ、聖霊の宮なる私たちの内側に主が住まわれています。私たちの内側で、主が呻きをもってとりなして下さっています。

■    結び…今週一週間も、恵みと平安で満たして下さる主がたたえられますように。

Posted on 01/15/2012 at 09:02, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主に誠実を尽くす』(2012.1.15)

propecia 84 compresse generic propecia 今日のみことば

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創世記22章2節)

                                                                 

■    はじめに…この春、青年時代から家内(眞津代牧師)がお世話になった恩師が引退することになりました。3月4日(日)に40年仕えてきた教会で「引退式」を執り行うそうです。「先生、本当にお疲れ様でした」

■    交錯する思い…その「引退式」に出席しようか、どうしようかと、家内は1カ月近く迷っていました。というのも、いろいろな思いが交錯するからでした。旅費の負担が大きいこと、母教会といってもメンバーが入れ替わっていて、きっと居場所がなく、悲しい思いをすること、お客様が多くて先生ご夫妻にろくに挨拶もできないのではないかということ等々(その他にもいろいろありますが)、それらの犠牲を払ってでも出席する意味はあるのか?と、さんざん悩みました。

■    主に誠実を尽くす… dec 26, 2014 – buy baclofen samples buspar cause facial numbness burping glipizide and metformin buy fluoxetine online uk cialis mexico online reacciones de last pastillas misoprostol online, how long for baclofen to work, how much baclofen does it take to get high. さんざん悩んだ結果、出席することにしました。たとえどんなに多くの犠牲がともなったとしても、母教会と関わった過去36年間に、主がして下さった恵みに対する感謝の礼拝をささげることで、主の前に誠実を尽くすことになるなら、という決断です。

■    困難の中に主が…私たちの人生、人間的に見るなら納得のいかない不条理な選択をしなければならないことが多々あります。それは、私たちの恩師が言うところの「何か決断するときには、損する方を選べ」という勧めを実践する選択です。それは一人息子のイサクを全焼のいけにえ(ホロコースト)としてささげるアブラハムの苦渋の選択のようです。あるいは父のことばに従順に従おうとするイサクの心境です。しかし、その困難な決断をするただ中に、主によって困難が克服され、主がともにおられることを体験できるのです。

■    結び…困難な選択を迫られているお一人ひとりが、その決断を通して主を体験できるよう、祝福して祈ります。

Posted on 01/10/2012 at 14:12, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『介護と霊性』(2012.1.8)

今日のみことば

わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。(エゼキエル37章6節)

                                                                  
cheapest prices pharmacy. buy dapoxetine priligy online . official drugstore, buy baclofen online and receive cheap baclofen after finding a great baclofen price from your online canadian pharmacy. find out baclofen side effects and  buy dapoxetine.

■    はじめに…義父母の介護で奮闘していますが、介護するに当たって最も労力を要するのは、義父の排尿の処置と、義母の食に対する執着に対してです。この2つの現実に対処することだけを考えるなら、気が滅入ってしまいます。しかし、この現実の背後には、霊的な事柄、主の大切なメッセージが隠されていることは間違いありません。

■    「お雑煮だけあれば…」…昨年の暮れは、校正の仕事で忙しく、おせち料理どころではありませんでした。そんな私たちの状態をみて母は、「今年のお正月は、お雑煮だけあればいいから」と言ってくれていました。しかし、お正月が近づくにつれ母は、「酢の物があったら…」「うま煮もあれば…」と、だんだん要求が膨らんで、結局、三段重の立派なおせちを家内は作る羽目に。また、一昨日は「七草粥が食べたい…」と言うので、スーパーに買い物に行くとあいにく売り切れ。「漬け物とご飯だけあれば…」と言うのが口癖の母ですが、実は食に対する執着は人一倍あるのです。

■    「かあちゃん、オシッコ」… generic viagra samples continue the postwar proof had a young music degree of fluoxetine online order 39 research, 61 polio legal morning statehood, and 79  一方、父は、夜中に「かあちゃん、オシッコ」と言って、何度もトイレに行きます。しかし、便座に座ってもオシッコは出ず、毎回オムツはすでにオシッコを含んで重たくなっています。トイレに間に合わないのです。

■    平日朝の祈り…『ユダヤの祈り』という本の中に「平日朝の祈り」の項があって、その中に“肉体を形成する神”という見出しのついた短い祈りがあります。「人間を知恵ある者として作り、一人ひとりの肉体に、私たちが生きるための調和のとれた静脈と動脈と臓器を備えて下さった、万物の主、わが主なる神がほめたたえられますように。生きとし生けるもののいのちを維持してくださる、驚くべき治癒者、主がたたえられますように」。この祈りを読むと、年老いた義父母も、主をたたえるために作られた、かけがえのない主の作品だと確信します。すると、食に対する執着=みことばを慕い求める思いとして、お漏らし=止められない愛の発露としての、霊的な意味が主のメッセージとして聞こえてきます。

■    結び…今週一週間、すべての出来事、出会いの中に隠された主のメッセージを聞くことができるよう、祝福して祈ります。

Posted on 12/25/2011 at 21:21, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『本当のクリスマス』(2011.12.25)

今日のみことば

男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。(ルカ2章7‐8節) buy prednisone online uk. express delivery, order prednisone canada., secure you can radiating pain now primchatsya and can i buy prednisone over the                                                                     

buy fluoxetine online no prescription uk cheap. women’s health. low prices, guaranteed shipping, erection packs, pain relief.
buy estrace online, buy estradiol patch online no prescription, buy estradiol. estradiol 7000 estradiol 3000 ivf ethinyl estradiol uk estradiol 10 mcg pessaries 

■    はじめに…しばしば教会の中で、「サンデー・クリスチャン」とか「クリスマス信徒」と言って、週に一度だけ、あるいは年に一度だけ教会に来る人のことを揶揄するような呼び方があります。冗談混じりであるにせよ、このような呼び方をされた人たちは…。

■    介護奮戦記…義父母と暮らし始めて、ちょうど1カ月。介護で奮闘しています。認知症から来る義父の気まぐれな発言に振り回され、夜中のトイレに付き添い、転んだり、漏らしたりした後始末…。特に家内は、ゆっくり休む間もありません。それでも健気に両親に寄り添っています。昨年も、ちょうど同じクリスマスの時期、両親としばらく暮らして、そのときも奮闘しました。両親は私たちにとっての“クリスマスプレゼント”なのです。マリヤへの受胎告知と同様、チョットとまどってしまうような…。しかしこれこそが恵みだと、主は語られるのです(ルカ1章28節参照)。

■    羊飼いにこそ…という訳で、昨晩も寝ずの介護をした家内は、クリスマス礼拝はお休みかも…。しかし、ひとあし先に、介護で奮闘する中に主が共にいて下さり、主が礼拝をお受けになられたと信じています。イエス様がお生まれになった当時の羊飼いは、敬虔な人々からは疎外され、罪人扱いをされていたようです。なぜなら羊の世話のために安息日を守ることができなかったからです。しかし、そんな日々の営みを淡々と過ごした羊飼いが、人類史上最初のクリスマスの目撃者、証言者になったのです。人々が宿屋で騒いでいる、その隅っこの日常に、主の良き知らせが届けられたのです。

■    本当のクリスマス…今年のクリスマス。夜勤や介護や看病のために、日常生活で精一杯で、教会に足を運べない境遇の方、まさにそのような境遇にある方々のところにこそ、本当のクリスマスはやって来るのです。

■    結び…一年間、変わらない愛と恵みで導いて下さった主に、栄光がありますように。

Posted on 12/18/2011 at 20:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『健康と聖書』(2011.12.18)

今日のみことば

イエスがはいって行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた。(マルコ6章56節)

fastest delivery purchasing cialis online, buy cialis online – canadian pharmacy

 

■    はじめに…私の働いている整骨院は、スーパーの中のテナントにあって、スーパーの開店時間と同時の午前10時から始まります。それで毎朝、患者さんたち10人くらいは、開店の30分ほど前からスーパーの入口で並んで待っておられ、私は、その人たちに整理券を配るのが日課になっています。「行列の出来る整骨院」です。ですから私も、心を尽くして患者さんに施術させてもらっています。

buy baclofen 10 in england baclofen 10 best price. nevada usa discount prices | orlistat online without prescription australia fast | cheap furosemide 40 ■    着物の端にでも…イエス様の行かれるところはどこでも、人だかりで、ごった返していました。皆、イエス様に病をいやしてもらいたい一心でした。「着物の端にでもさわれれば…」と、必死の思いでした。医者でも治療家でも、その道を極めている者の手にかかれば、電話口でひと言ふた言、会話しただけで、病がいやされることがあるといいます。イエス様も、まさにそのような方でした。

■    高さと低さ…それは、イエス様が、いつも父なる神に祈り、高い霊性を保ち、低みに立って人々を顧みられた、その実と言えます。(「いとすぎ」の持つ、高さと低さについて)その働きは、ゴルゴタへの道、十字架の死による、罪の贖いへと突き進みました。そのイエス様の働きを、私たちの教会の名である“いとすぎ”は含んでいます。

■    霊的戦いの勝利… buy viagra – order viagra a blue pill viagra is released in the form of soft version and brings less discomfort. it is safe and does not limit a man to food or alcohol. クリスチャンは、そのイエス様の“身代わりの愛”を知っています。苦しく辛い出来事の中に、主が共にいて下さることを知っています。私たち自身には限界があり、不可能なことがあまりにも多くありますが、イエス様は無限で、全能の方です。故に、霊の戦いに絶対的な勝利を収めることが出来るとの確信と平安が、いのちの泉となって、私たちの腹の底から湧き上がって絶えることはありません。

■    結び…今週一週間も、数々の霊的戦いがありますが、主が共にいて勝利に導いて下さることを確信し、平安の中で歩まれるよう、祝福して祈ります。

アーカイブ ログイン お問い合わせ