Archive for 11月, 2013
Posted on 11/24/2013 at 08:44, by matsumoto
彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 (創世記15章6節)
■ はじめに…先週、恩師から電話がありました。私たちが郵送した献堂感謝の便りが届いたことの連絡とあわせて近況報告を聞かせて下さいました。先生は現在75歳(たぶん)ですが、教会の近くに250坪の土地と築百年になる家を買い求めたとおっしゃっていました。まさに75歳になってから約束の地へ向けて一歩を踏み出したアブラハムの信仰の姿勢と師の姿がオーバーラップしました。
■ 信仰義認…先週に引き続き今日も創世記からみことばを共に聞きます。今日のテキストは、いわゆる“信仰義認”の箇所です。15章1節に「これらの出来事の後」とありますが、ききん、争い、略奪等の試練です。その後、「あなたの子孫は、天の星のようになる」と主のことばがアブラムに臨み、それを信じ、義とされました。
■ 義…信仰義認とは、律法を行うことによって“よし”とされることではなく、主を信じることによって、“よし”とされるということです。「義」とは、主のことばを、とても常識では考えられないものであったとしても、信仰をもって誠実に聴き、応答しようとする態度、構え、ということができます。
■ キリストによる義…この信仰義認を使徒パウロは、「キリストによる義」として、ローマ書3章-6章他で、私たちに伝えています。ただ聖書の訳出の仕方を考慮する必要があります。たとえば「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」(ローマ3章22節)というと、私たちの側の主体性が強調されて、結果、「あの人の信仰は弱い、浅い、間違っている」と隣人を裁く尺度になってしまいがちです。むしろ真意は「イエス・キリストの信(信実)による神の義」でしょう。イエス様の主体性を父なる神が義とされ、その故に、私たちも義とされ主との関係が回復したのです(ローマ5章18節)。
■ 義を生きる…そのイエス様ご自身、「義に飢え渇く者は幸い」「義のために迫害されている者は幸い」と山上の垂訓で義について語られました。そして義に生きる者の姿を指し示されました。またパウロもローマ12章以下で、義(あるいは愛)に生きる信仰者のあり方を示しています。
■ 結び…今週も主の御声を聞き、イエス様の愛によって生きる一週間であるよう、祝福して祈ります。
Posted on 11/17/2013 at 16:28, by matsumoto
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 (創世記12章1節)
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■ はじめに… order atarax, purchase atarax, where to buy atarax, atarax tablets 25mg, atarax 10mg tablets, hydroxyzine pam, order hydroxyzine. generic atarax 先主日は、いとすぎキリスト教会の献堂感謝礼拝でした。会堂は会衆で溢れ(と言いましても16席ですが)、主の栄光で満ちました。川内先生が「クリスチャンの喜びは世のシャボン玉のように消えてしまい、悲しみに変わってしまうような、はかない喜びではなく、①罪からの救いの喜び、②永遠の生命の喜び、③御国の市民権が与えられている喜びです」と、キリストにある真の喜びの使信を伝えて下さり、感謝でした。
■ 御声…アドベントに先立って、今一度開拓の歩みを振り返ってみたいと思います。韓国滞在中に「教会の名は“いとすぎ”」という御声を聞き、日本に帰国し東京の教会に赴任。ところが1年を待たずして「名古屋に教会を立てなさい」と言う御声を聞き、愛知の実家に帰郷。しばらく名古屋オンヌリ教会の礼拝に出席。その間に仕事探し。ナイナイづくしの生活でした。あったのは主の与えて下さった開拓の約束への信頼だけでした。そして祈りと礼拝。そんな中で最初の開拓拠点の借家が与えられ、それから3年半後、自前の会堂が与えられたのです。
■ 愚直さ、無垢な心…信仰の父と称されるアブラム(アブラハム)。「わたしが示す地へ行きなさい」という主の御声を聞き、住み慣れた故郷(生き方)を後にしました。異邦の地、前人未到の領域へ歩み出したのです。御声は、はっきりとした音節を伴い、意味の分かる言葉ではありません。心の奥底に響いて来る霊感“霊の感動”です。その霊の感動に信頼して、突き動かれて信仰の歩みは始まります。知識、理性、過去の経験では絶対に信仰の一歩は出ません。主に対する愚直さ、幼な子のような無垢(むく)な心が必要です。逆に言えば、それさえあればOKということです。愚直さと無垢な心という信仰の帆が、聖霊の風をいっぱいに受け、神の国に向けての旅が始まります。
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■ 困難の先にあるもの…旅には思いがけなない想定外の出来事、困難(今日のテキストではききんと争い)が伴います。しかし主の祭壇を築き、主の御名で祈るとき、主の導きと祝福があります。
■ 結び…今週一週間、いとすぎの信仰の船旅をともに楽しむことが出来ますように。
Posted on 11/10/2013 at 20:41, by matsumoto
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。(…)主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。 (使徒の働き2章44-47節) buy baclofen online and receive cheap baclofen after finding a great baclofen price from your online canadian pharmacy. find out baclofen side effects and
Posted on 11/03/2013 at 19:31, by matsumoto
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彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。 (マラキ書4章6節)
■ はじめに… de venta en el peru buy dapoxetine 60mg mastercard liquid dapoxetine dose price in malaysia dapoxetine online purchase in india near to bangalore . obat el 先週火曜日、月例の聖霊集会を開催し「主日」をテーマした学びをしました。すべての生業から解放され、人間性(霊性)を回復し、また、世の微妙な変化を敏感にキャッチする信仰生活の要(かなめ)となるものが「主日」だということをあらためて覚えました。
■ 旧約の結語…さて、今日はマラキ書の結びのみことば。旧約全体の結語でもあります。この後のみことばは新約のマタイのみことばになります。旧約と新約の橋渡しとなる意義深いみことばと言えます。
■ 預言者エリヤ…「彼」とは前節の預言者エリヤですが、イスラエル最悪の王アハブの治世におけるイスラエル最大の預言者と称される人物です。国をあげて偶像礼拝を捧げるなかで、一人敢然と「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」(Ⅰ列王17章1節)と主に信頼して立ち向かって行きました。またエリヤは主の「かすかな細い声」(Ⅰ列王19章12節)を聞き取る霊の耳を持っていました。このエリヤの再来としてバプテスマのヨハネが「荒野で叫ぶ者の声」(マタイ3章3節)として遣わされ、救い主イエス様をあかししました。イエス様は「ことばが人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1章14節)方です。
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■ のろいと祝福…「のろい」とはみことば(の力)からの離反です(創世記3章17節、4章11節)。主イエス様は、十字架にお掛かりになられ「のろい」をご自身の身に負われ、私たちを「のろい」から贖い出し、聖霊によって祝福を与えてくださっています(ガラテヤ3章13、14節)。イエス様は、十字架によって、「のろい」と祝福を交換してくださったのです。神の子ども(ガラテヤ3章26節)としてくださり、「アバ、父」(同6節)と呼ぶ者としてくださったのです。
■ 結び…今週も、十字架にお掛かりになり、「のろい」を祝福にかえてくださった主イエス様の御顔を仰ぎつつ歩む一週間となるよう、祝福して祈ります。