Posted on 10/20/2013 at 07:40, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主の霊によって生きる』(結語シリーズ 旧約篇その37)(2013.10.20)

あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。 (ハガイ書2章5節)

■    はじめに…以前にもお話したことがありますが、私たちが開拓を始めることを決心したとき、恩師の李天秀牧師が「今までに経験したことのない平安を体験するでしょう」とおっしゃいました。

■    老師の一喝(いっかつ)…老師の語る言葉は、重みがあり説得力があります。ハガイの語る預言も、そのようなものだったでしょう。当時、イスラエルの民は「主の宮を建てる時はまだ来ない」(1章2節)と語り、主の宮より、まず自分たちの生活、自分たちの家と考えいました(1章9節)。そのようにして神殿再建はその志が与えられてから18年間、手付かずになっていました。その民に対して、老預言者ハガイの預言が、民の頭上に稲妻のように落ちたことでしょう。

■    現状をよく考えよ…ハガイは「あなたがたの現状をよく考えよ」と繰り返しました。私たちは、なかなか現状を正確に分析することができません。最も大切なことを考えないようにとさえします。自分たちにとっての利益のことを最優先に考えようとします。そして主の力を過小評価、あるいは「主は何もしない」とすら考えます。そのようなあなたたちの優先順位はひっくり返っているのだ、そうハガイの預言は指摘します。

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■    霊の家…神殿の建設、すなわち教会の建設は百パーセント、聖霊様の働きです。ペテロはそのことを「霊の家に築き上げられなさい」(Ⅰペテロ2章3節)と語っています。その霊の家の礎石はイエス様であり、イエス様に信頼する者は、決して失望させられることはありません(同2章6節)。

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■    結び…今週も、内なる聖霊様の導きに従って、主の栄光を顕す歩みとなるよう、祝福して祈ります。

Posted on 10/13/2013 at 03:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『心のうちに住んでくださる主』(結語シリーズ 旧約篇その36)(2013.10.13)

あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。

 (ゼパニヤ書3章17節)

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■    偶像の大そうじ…今日のテキストはゼパニヤ書。ゼパニヤは、宗教改革を断行したヨシヤ王の治世初期に活躍した預言者。ヨシヤ王の宗教改革運動すなわち“偶像の大そうじ”(Ⅱ列王記23章、Ⅱ歴代誌34章)のさきがけを担う活動を果たしたと言うことができます。

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■    大そうじの結果…大そうじの結果が、どのようになるかの明確なビジョンを示したのが3章です。私の聖書には3章9節に「2001.壱岐教会主題」と書き込みがしてあり、私たちの最初の赴任教会の初陣が、ゼパニヤ書3章で始められたことに霊的に感慨深いものを感じます。それから12年後、再びゼパニヤ3章にたどり着きました。この間、教会が「一つになって(原語:ひとつの肩になって=スクラムを組んで)主に仕える」(9節)ことを夢見続け、紆余曲折、波乱万丈の歩みでした。そして到達したところは「主は、あなたのただ中におられる」(17節)です。私たちのただ中に住んでくださる主の愛が、どれだけ大きな愛か、測り知れません。

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■    心のうちに住んでくださる主…それをパウロは、エペソ3章17節以降で語っています。「心のうちに住んでくださる」「人知をはるかに越えた」「願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施す」キスリトの愛。この愛によって私たちは限りない平安を得ており、主ご自身、この私たちを喜び、楽しんでくださっている、そう、みことばは語っています。だからシオンよ、寄るべのない民よ、恐れるな、気力を失うな(16節)と、主は私たちに語りかけてくださっています。

■    結び…新しい週、皆さんお一人ひとり、主ご自身が皆さんを喜び楽しんでくださり、平安を与えてくださることに信頼して、何ごとも恐れることなく、元気に過ごされますよう、祝福して祈ります。

Posted on 10/06/2013 at 21:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主にある喜び』(結語シリーズ 旧約篇その35)(2013.10.6)

しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。(ハバクク書3章18節)

■    はじめに…開拓開始から3年半。先週の1日(火)に引越ししました。まず新会堂で、家内と手伝いに来てくれた友人と私の3人で感謝のお祈りをして作業に取り掛かりました。まだ荷物の整理は出来ていませんが、今日、皆さんとともに新しい会堂で主を礼拝できること、本当に感謝です。来月の第2主日には恩師・川内研二牧師ご夫妻をお招きして献堂感謝礼拝を執り行います。

 

■    喜びの源…主の恵みによって、具体的に与えられることは喜びです。感謝です。しかし、今日のテキストのハバクク書は、与えられるときの喜びではなく、取り去られるなかにある喜びです。取られてもなお喜べるのは、なぜでしょうか? それは、どんな状況のなかにあっても信頼すべき方、主が生きておられ、主が共におられることを知っている故です。救い主が、私たちにとっての喜びの源です。

■    力の主…ハバククは、「私の主、神は、私の力」と声高らかに宣言して、この書を締めくくっています。この書は「主よ。私が助けを求めて叫んでいますのに、あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。私が「暴虐。」とあなたに叫んでいますのに、あなたは救ってくださらないのですか」(ハバクク1章2節)と、無力な主に対する疑いで始まっていました。しかし、最後には“私の力”と絶対的な信仰を告白しています。その力は、不可能を可能にする力、無から有を生み出す力、死から生命に引越しする復活の力です。この世に、私たちからこの力を奪い取るものは何もありません。

■    結び…新しくはじまる一週、無限の力を持ち、私たちのうちに住まわれる救い主に信頼して、暗雲立ち込める世のなかで愛、喜び、平安の光を輝かせて生きる皆さんお一人ひとりであるよう、祝福して祈ります。

Posted on 09/29/2013 at 08:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『いじめる者でなく、かばう者として』(結語シリーズ 旧約篇その34)(2013.9.29)

あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。(ナホム書3章19節)

■    はじめに…「仲間はずれにされないためには、仲間はずれをしなければいけない。自分が助かるためには、その気がなくても他の人をいじめなければいけない」(ソウル東大門区B中2年男子)。これは韓国ソウルの中学生へのインタビュー記事(中央日報日本語版)です。日本も同様、今、“ネットいじめ”が蔓延しています。

■    いじめ…いじめをする者(強者)に対して御言葉は「いやしがたい」と厳しく宣言しています。隣人を傷つける者は、結局、自分自身の人格(いのち)を深く傷つけるのです。「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失う」(ルカ9章24節)とイエス様はおっしゃいました。いじめはサタン(反キリスト)の霊的な働きです。私たちの心の深いところに、いじめの根が潜んでいないでしょうか。

■    御手の中で…私たちは、いじめられて初めていじめられる者の気持ちが分かり、いじめがどれほど害悪であるかを知るようになります。主イエス様は徹底的に、当時の強者からいじめられ、罪なき方であるにもかかわらず罪を着せられ、十字架の極刑に処せられました。私たちの打ち傷(罪の性質)はいやしがたいものですが、主は自らの打ち傷(愛)によって、私たちをいやして下さった(イザヤ53章)のです。主はいのちを惜しむ方ではなく、いのちを愛する方です。いじめに加担する方ではなく、私たちを御手でかばって下さる方です。主が送って下さった聖霊によって、私たちはいのちの御霊の原理(ローマ8章2節)に生かされ、お互いのいのち(主と隣人)を愛します。

■    結び…今週も、主が私たちと共にいて御手の中で私たちを守って下さいます。お互いにいのちを愛し合い、かばい合う者であるよう、祝福して祈ります。

Posted on 09/22/2013 at 06:12, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『いつくしみを喜ばれる主』(結語シリーズ 旧約篇その33)(2013.9.22)

あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。 (ミカ書7章18節)

■    はじめに…先週の17日(火)、義母(家内の実母)が亡くなりました。翌日、両親の暮らす金沢の義兄宅へ。そして通夜、葬儀。葬儀は、義父が日蓮宗の檀家なので仏式(日蓮宗式)に。

■    母はキリスト者…余命数カ月という状況を病院から聞いていたので、私たち(主に眞津代牧師)は頻繁に金沢の母の見舞いに出かけていました。その度に病床の母の手を握り、傍らでみことばを伝え、一緒に賛美をしていました。最後の見舞いのとき母は「今がいちばん幸せ」と言い、ヨハネ3章のみことばを朗読している間、手を組んでじっと耳を傾け、その後、私たち祈ると、はっきり「アーメン」と答えました。「イエス様信じてる?」と問いかけると「前から信じとった」と答えました。死の間際、母は信仰の告白をしたのです。

■    四面楚歌… order online at usa pharmacy! top quality medications. generic name of amoxil . free delivery, buy amoxil online uk. purchase zoloft online. fastest shipping, zoloft online canada. buy baclofen online, generic baclofen 10 mg, generic baclofen images. 当然のことながら葬儀には親戚が一同に会しました。しかし家の宗教とは違う私たちに対して警戒心と冷ややかな視線が。まさにミカ7章6節のみことばの状況でした。このみことばは、12弟子の派遣に際して、イエス様が①与えなさい、②平安を祈りなさい、③あかししなさい、④耐えなさい、⑤恐るな…等々、忠告している記事がマタイ10章にありますが、その35節に引用されています。四面楚歌の中で私たちは、ただ主を仰ぎました(ミカ7章7節)。

■    罪を海の深みに…母との別れが悲しいというよりも、大切なものを見失っている周囲の親戚の振る舞いに悲しみと怒りの感情が溢れて来ました。しかし、主の目から見たら私たちも同じ。その私たちの罪、咎を二度と思い出さないようにと、主はそれを海の深みに投げ入れて下さったのです。別の言い方をすれば、私たちの罪を十字架にはりつけにして下さったのです。十字架を見上げるとき、悲しみと怒りは消え、喜びと感謝だけがが腹の底から湧き上がってきます。義母は今、主のふところに抱かれていることでしょう。

■    結び…永遠のいのちを与えて下さる主に栄光がありますように。

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