Posted on 10/09/2016 at 19:43, by matsumoto
また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。(ヨハネ黙示録2章18節)
- はじめに…先週の日没から、ユダヤ歴では5777年(伝統的に天地創造から数えて)の新年「ロッシュ・ハシャナー」を迎えました。「天地創造」から数えるということは、つまり、“歴史には秩序と目的がある”ということを心に刻む時が、新年のテーマだということができます。神が王(主権者)であること、神の民として、人は世界に対して責任(課題あるいは意味)があること、そして、審判(悔い改めとあがない)があることを、覚える時です。
- ヨム・キプール…新年の10日目は「ヨム・キプール」(贖罪の日)として断食し祈って時を過ごします(イザヤ58章6-14節参照)。
- テアテラ…今日は、七つの教会(すべて現在のトルコにありました)のひとつテアテラの教会から、みことばを聴きたい願っています。テアテラはペルガモから南東に約65キロのところにあった、商業都市でした。羊毛と染料、真鍮製品が特産品として有名でした。このことからも極めて女性の衣服がフッショナブルであったろうと想像できます。テアテラの名の意味は「女の圧制」です。
- イゼベル…そのテアテラの教会に、イゼベル(純潔)という女性が幅を利かせていたことが記されています。良い影響ではなく、悪影響を及ばしていました。しかも教会は彼女のなすがままに任せていたと。
- ルデヤ…神を恐れないイゼヘルに対して、テアテラ出身で神を敬うルデヤという女性がいたことを聖書は記しています(使徒の働き16章14節)。紫布の商人だったことから、経済的にも裕福だったことが伺われます。
- 思いと心を探られる主…主は、燃える目と輝くしんちゅうの足で私たちの内側に近づいて来られ、内面を探られる方です。そのとき、頑なに厚顔無恥を貫くのか、悔い改めて心を開くのか、私たちにその決断がゆだねられています。もちろん主は、後者を望んでおられれます。
- 結び…主の御前に立つとき、ありのままの自分を差出し、明けの明星に照らされる皆さんであるよう、祝福して祈ります。
Posted on 10/02/2016 at 19:11, by matsumoto
あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。(ヨハネ黙示録2章10節)
- はじめに…今日の日没からユダヤ歴では「新年」を迎えます。ユダヤの伝統に則すれば天地創造から5777年となります。次のヨベルの年(安息と解放の年)に向けて、新たな活動期に入ったといえます。その歩みは平坦なものではないと思います。
- 新年の希望…しかしその歩みは、確かな希望、新しいエルサレム(神の幕屋)で、イエス様と永遠に住まう希望に向けての歩みです。ユダヤでは、りんごにハチミツをつけて、「シャナー・トヴァー・ウメトゥカー」(良き甘き年でありますように)と祝福します。また、新年の2日間は、「神の王冠」と言われるべき日で、王冠をイメージした丸型のパンを使って聖別の祈り(キドゥーシュ)が行われます。
- スミルナ…今日は、七つの教会(すべて現在のトルコにありました)のひとつ、スミルナの教会から、みことばを聴きたい願っています。スミルナは現在のイズミールで、人口およそ4百万のトルコ第3の都市として繁栄しています。黙示録の記された当時も主要都市として栄えていましたが、教会は迫害の真っ只中にありました。ゆえに極めて貧しい境遇に置かれていましたが、イエス様はそのことをすべて知っていて下さいました(マタイ5章3、10-11節参照)。
- 没薬…スミルナは「没薬」という意味です。没薬は香料、鎮静剤、防腐剤として用いられました。さらに重要なことは、聖なる注ぎの油として幕屋の器具に塗られ(出エジプト30章23-30節)、幼子イエス様に捧げられ(マタイ2章11節)、葬りに用いられた(ヨハネ19章39-40節)ということです。つまり、主に近づき、礼拝するために用いられたのです。
- いのちの冠…“いばらの冠”を被られたイエス様(マルコ15章16-23節)が、忠実な者に“いのちの冠”を与えようと、約束して下さっています。
- 結び…いのちの冠を与えて下さり、聖なる天の都に招いて下さる主イエス様のみことばに忠実に応える皆さんお一人ひとりであるよう、祝福して祈ります。
Posted on 09/25/2016 at 14:59, by matsumoto
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。(ヨハネ黙示録2章17節)
- はじめに…先週、「終末論の危険性と重要性」というテーマで集会がありましたので、参加してきました。メシアニックジュー(イエスが救い主であると信じるユダヤ人)の講師で、終末論はすでに旧約聖書で語られているということを強調されていました。そのもっともベースになるみことばとして創世記3章15節を最初に取り上げられました。
- 黙示録の伝える希望…黙示録は希望に向かってのメッセージです。再臨の希望であり、新しいエルサレム(神の幕屋)で、イエス様と永遠に住まう希望です。
- ペルガモ…みことばの順序からすると今日、取り上げるのはスミルナの教会なのですが、御霊の導きに従って先にペルガモの教会からみことばを学びます。さて、ペルガモの名の意味は「結婚」です。また「羊皮紙(parchment・パーチメント)」はペルガモ(Pergamon)から派生した言葉です。実際、羊皮紙はペルガモで最初に作られたのです。
- 結婚…結婚には、真実な結婚(一夫一婦)の他にも、様々な形態があります(重婚・同性婚・政略婚)。ペルガモは「国家(ローマ)と結婚した教会」の型と言えます。その結果、教会が異教的な雰囲気に包まれていきました。皇帝礼拝やアスクレピオス崇拝、バラムの教えやニコライ派の教え…。「サタンの王座」と言われる所以です。
- 羊皮紙…ペルガモには20万巻の蔵書を誇る世界第二の図書館がありました。その多くは羊皮紙によって作られていました。羊皮紙は牛や羊、山羊の皮を剥いで、水に浸し、毛や脂質などを両刃の剣で削ぎ落として作りました。きっと肉は偶像に捧げた後、食べたと思われます。そのペルガモの教会に対して、両刃の剣を持つ方(イエス様)が語られました。「隠れたマナと白い石を与える」
- 結び…隠れたマナ(キリストの満たし)と白い石(天の宴会の招待状)をしっかりと内なる霊に収めつつ、信仰の道のりを歩まれるよう、祝福して祈ります。
Posted on 09/18/2016 at 20:11, by matsumoto
写真=真鍮製の踏み絵(切支丹遺蹟博物館所蔵)
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。(黙示録2章7節)
- はじめに…先週、名古屋にある「栄国寺」に行ってきました。お寺なのですが、キリシタン関連の貴重な品々を展示した「切支丹遺蹟博物館」を併設しています。2百点余りの展示品のうち、最も目を引いたのが真鍮製の「踏み絵」です。それを目にしたとき、心の琴線がピンと張られる感じがしました。
- 黙示録の伝える希望…繰り返しになりますが、黙示録は希望のメッセージです。創世記のアダムとエバ以来、食べることが禁じられていた“いのちの木の実”を食べる権利を与えられ、都にはいれるようになる(黙示録22章14節)、すなわち新しいエルサレムを整え、花婿なるイエス様が私たちを迎えに来て下さる希望です。
- エペソ…エペソの名の意味は「弛み」です。日常生活、信仰生活がマンネリ化して、油断している状態と言えるでしょう。夜中にイエス様(花婿)が来たとき、ともしびのための油の用意がなかった5人の娘のような状態です(マタイによる福音書25章参照)。幕屋であれば、聖所の燭台の火が消えないように朝夕、奉仕する祭司が、油を切らしてしまうようなものです(出エジプト記27章20節参照)。油が切れて光を照らさない燭台は用をなしません。つまり油は聖霊ですから、聖霊が器に満ちていなければ、いのちが輝かないし、愛が枯れてしまい力がなくなります。
- 愛のきずなで引く…また、幕屋の周囲は、垣がめぐらされていましたが、その垣の1本1本の柱は、青銅(真鍮)の台座に載せられ、釘とひもで、しっかり支えられていました。ホセア書に「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた」(ホセア書11章4節)とあるように、あがないと復活のイエス様が、しっかりと私たち一人ひとりを倒れないように引っ張って支えていて下さいます。キリシタン迫害のとき、踏み絵を踏んだ人は罪あがなわれ、また踏まずに斬罪された人は復活のいのちに生かされた、そう信じます。
- 結び…イエス様と隣人に対する“初めの愛”に立ち返り、新たな日々を歩み出す皆さんであるよう、祝福して祈ります。
Posted on 09/11/2016 at 20:57, by matsumoto
しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。(ヨハネ黙示録2章4節)
- はじめに…今、リオではパラリンピックが開催されています。現在、日本選手団は、銀1個、銅3個のメダルを獲得しています。IPCフィリップ・クレーブン会長は、開会式のスピーチで「人間の限界がないこと、障害を可能性としてとらえ、希望は必ず恐怖を乗り越える(Ⅰヨハネ4章18節参照)ことを伝えてください」とメッセージを送りました。
- 黙示録の伝える希望…繰り返しになりますが、黙示録は恐怖を煽るような書物ではなく、希望のメッセージです。創世記のアダムとエバ以来、食べることが禁じられていた“いのちの木の実”を食べる権利を与えられ、都にはいれるようになる(黙示録22章14節)、すなわち新しいエルサレムを整え、花婿なるイエス様が私たちを迎えに来て下さる希望です。その希望に向かって、パトモスに島流しされた使徒ヨハネに、イエス様ご自身が啓示されたのです。1章「あなたの見たこと」(栄光の主イエス)、2から3章「今ある事」(7つの教会)、4から22章「この後に起こる事」(教会時代後)が記されています(黙示録1章9節)。
- エペソ…エペソ教会は、パトモス島からもっとも近いところにありました。唯一、聖書にその誕生がしるされています(使徒の働き19章参照)。パウロが第3回伝道旅行のとき、エペソに約3年滞在し、手塩にかけて育てた教会です(※紀元50年代)。ヨハネが黙示録を記したのは紀元90年代ですから、エペソ教会が誕生してから約40年が経過しています。つまり世代交代の時期と言えます。パウロは第3伝道旅行の後、ローマへ護送され、獄中での生活を余儀なくされる訳ですが、そこでエペソ人への手紙を認めました。その手紙の冒頭で、エペソの信徒たちの愛を賞賛しています(エペソ1章15-16節)。
- 初めの愛…その初めの愛から離れてしまった、そうヨハネは記しています。「初めの」は「最初の」という意味だけでなく、“最高の”“何よりも優先すべき”という意味があります。その愛から「離れた」(アオリスト形)、見捨てた、無視したのです。「どこから落ちたかを思い出しなさい」と奨められています。
- 結び…イエス様と隣人に対する“初めの愛”に立ち返り、新たな日々を歩み出す皆さんであるよう、祝福して祈ります。
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