Posted on 05/20/2018 at 00:07, by matsumoto
幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった。(…)イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。(ルカによる福音書2章40、52節)
- はじめに…今日は、お母さんに対して感謝の心を表わす“母の日”です。親はわが子をいつくしみ、その成長を見守ります。自分よりもまず子どものことを優先し、日々の営みに心を砕きます。イエス様の成長を見守るマリヤの思いは、母という役割を持っておられる方には想像できるのではないでしょうか。何より、独り子イエス様を地上に送られた父なる神の思い、また愛は、どれほどであったことでしょう。父なる神は独り子イエス様の成長を見守られたように、私たち一人ひとりを見守っておられます。
- 神の恵みがその上にあった(2章40節)…イエス様は、成長し、霊は強くなり、知恵が満ちてきました(ルカ1章80節)。バランスの良い成長ぶりが分かります。「知恵が満ちて行った」という言葉は、継続を表わす言葉が使われています。つまり身体の成長に比例して霊も知恵も増して行ったということです。宮で質問に答えるイエス様の知恵に周囲の人々が驚くという場面があります(ルカ2章47節)。父なる神の恵み、それは独り子イエス様への寵愛です。片時も視線をそらさず、聖霊に思いを託し、見守っておられる姿を知ることができます。寵愛が強ければ強いほど、霊も強くなって行ったのです。そのような愛を体験したからこそイエス様も人を愛して下さるのです。
- 置かれた場所で(ルカ2章51、52節)…12歳になったイエス様は、ユダヤ人の慣習にならい、父ヨセフの仕事(そして天の父なる神の仕事も)を学び始めらました。過越の祭の後、ナザレに帰ったイエス様は、両親に仕えます。30歳で公生涯に入られるまでのおよそ18年間、そこで暮らしました。イエス様は神と人とに愛された、とルカは証ししています。イエス様は聖霊に助けられ(導かれ)ながら、家の仕事をし、また家族を大切にしていたことでしょう。父なる神を意識し、聖霊に導かれながら自分の置かれた場所で、自分にできることをする、それがイエス様の歩みです。
- 結び…原罪を持たない人として誕生されたイエス様。その成長のあり方は、天の父なる神の御心です。
Posted on 05/06/2018 at 20:50, by matsumoto
イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、
(…)するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」(ルカによる福音書2章42、49節)
- はじめに…ヘロデ王から逃れてエジプトへ行ったイエス様家族。ヘロデ王の死後、御使いの言葉により、ナザレへ。そこで暮らしイエス様は12歳に。両親と共に過越の祭に行き、そこで起きた出来事は、イエス様の歩みを示唆する出来事となりました。
- 過越の祭…ユダヤの三大祭のひとつ。かつてエジプトで苦役の中にいるイスラエルの民の叫びを聞かれた主は、モーセを立て、エジプトから救出して下さいました。ほふった羊の血が、かもいと2本の門柱に塗られている家は災いは過ぎ越す、と言われた主の約束が成り、この事が出エジプトの始まりとなりました(出エジプト12章23節)。ユダヤ人にとっては、エジプトから救い出して下さった主の愛を思い、感謝する大切な祭です。そして、これはイエス様の十字架の贖いの死の予表です。
- 仕事始め…ユダヤでは、男子は12歳になると父親の仕事を学び始めます。さて、祭から帰路についた両親は、イエス様がいないことに気づき、エルサレムに戻ります。神殿にいたイエス様を見つけ、いさめます。しかしイエス様は「私が自分の父の家にいることをご存知なかったのですか」と返答(ルカ2章49節)。英語では「Father’s business」と訳されています。イエス様は、ユダヤの習慣に従い、父親の仕事を学び始めると同時に、天の父なる神の仕事も学び始められたのです。
- 過越の祭、父の仕事、3日後…イエス様を捜していた両親は、3日後に神殿にいる(父の仕事をする)イエス様を見つけます。イエス様にとって、父の仕事を受け継ぎ、全うすることは、人類の贖いのための十字架です。そして3日後によみがえらされることによって、さらに父なる神の愛の計画が現わされました。エジプトからイスラエルの民を救出された父なる神は、罪と死に縛られている私たちを贖い救出するために、イエス様を与えて下さいました。
- 結び…父なる神は語られます。「わざわいではなく平安、将来と希望。だからわたしを呼び求めて歩きなさい」(エレミヤ29章11-12節)と。
Posted on 04/29/2018 at 21:14, by matsumoto
彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
(マタイによる福音書2章13節)
- はじめに…「ユダヤ人の王」の誕生を示す星を目当てに、遥かペルシヤよりやって来た博士たち。そしてついにベツレヘムにおられるイエス様に会い、そして礼拝しました。彼らは異邦人として、最初にイエス様を礼拝した人となりました。父なる神は、すべての人がイエス様によって生きる者となるよう、計画しておられます。
- ヘロデ王…ヘロデは、王になるためにユダヤ教に改宗しました。ヘロデは自分の考えを実現するためには手段を選びませんでした。親族を殺し、2歳以下の男子の初子までも殺すよう、命令したのです(マタイ2章16節参照)。自分の権威を振るい、自己中心に生きてきたヘロデの心中は、常に不安と孤独が渦巻き、暗闇に覆われていたことの証しです。暗闇は、安心や喜びへの道しるべをかき消してしまうのです。
- 主のことばに導かれて…夢に現れた御使いのことばに従い、エジプトへ逃れたイエス様と両親。その後、ヘロデ王の死を知らせる御使いのことばによりナザレへ(マタイ2章13-15節)。これはすべて父なる神のご計画であり、「いのちを得るため、生きる者となるため」の道しるべでした(同23節)。イエス様は、すべての人の救い主であることを成就するために降誕されましたが、その歩みは常に困難なものでした。
- 結び…困難を体験されたからこそ、私たちの困難を分かって下さいます。そしてイエスご自身が私たちの人生の“道しるべ”となって下さいます。元気を失い、疲れ果ててしまわないように、イエス様を見ます(ヘブル12章2-3節)。
Posted on 04/22/2018 at 19:38, by matsumoto
そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。(マタイによる福音書2章11節)
- はじめに…イエス様誕生後40日が過ぎて、マリヤとヨセフは、シメオンとアンナという二人の預言者に出会います。そしてこの二人によって幼な子イエス様が、待ち望んでいたメシアであるということを証明されたのです。今日は、それからおよそ2年後の出来事です。
- 東方の博士たち…イエス様がベツレヘムでお生まれになったのは、ヘロデ王(在位BC37年~4年)の時代でした。その王のもとに“ユダヤの王”を拝みに東方より博士たちが来たのです。東方とは、ペルシヤ(イラン)であり、彼らは占星術師であり賢人だったようです。BC607年頃、バビロンに連れて行かれたダニエルは『七十週の預言』をしました(ダニエル書9章24-27節)。それは1日を1年と数え、490年後にメシアが到来するというものでした。ですからヘロデ王の時代の人々は、メシア到来の時期が近いのでは…と話し合っていました。さらに占星術師は、メシア誕生と星の関連を見ていたのでしょう(民数記24章17節)。不思議な星を見た博士たちは、その星を追いかけ出発したのです。ペルシヤからエルサレム。それは東から西への移動でした。エルサレム到着後、再び星が現れ、ベツレヘムへ、北から南への移動です。天体の星が、このような動きをするでしょうか? その星はまさに“主の光”だったのです。そして博士たちは、その星を頼りに従いました。ベツレヘムにいる幼な子イエス様と出会った博士たちは、イエス様を拝んだ、つまり礼拝したのです。異国の人(異邦人)による初めての礼拝となりました。
- 黄金、乳香、没薬…ペルシヤからベツレヘムまでの長い道のりと時間、その旅のための準備、そして贈り物。彼らがどのような思いで選んだのかは分かりませんが、旧約聖書では大きな意味があります。黄金は王としての身分を表わし、乳香は神性、そして没薬は死を象徴しています。つまり、イエス様は王であり、神であり、贖いの死を遂げるメシアであることを意味します。そして、この贈り物は、後にイエス様家族がエジプトへ逃れるための資金となり、大いに役立ったのです。
- 結び…救い主イエス様の到来は、古から預言者たちによって語られてきました。ついにその時は来ました。私たちは、将来の計画を持っておられる主の光を頼りに歩むなら、どんな困難な旅路でも歩くことができるでしょう。
Posted on 04/21/2018 at 20:04, by matsumoto
エルサレムにシメオンという人がいた。イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。シメオンは神をほめたたえて言った(…)「異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」また、女預言者のアンナという人がいた。(…)彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。(ルカによる福音書2章25-38節)
- はじめに…今年は桜の花見を満喫しました。桜にもいろいろな種類があるそうですが、その中でも“ソメイヨシノ”が有名です。全国に百万本植えられているそうですが、その原木となった桜は東大の植物園の入り口付近にあり、今もきれいな花を咲かせています。日本人にとって桜は希望を感じる存在です。「春が来れば、またきれいな花が咲く」と、春を待ち望みながら希望を持って冬を過ごします。それは私たちの人生と重なります。「ときが来れば必ず…」と望みを抱くことができるのは何と幸いなことでしょう。
- 主のことばを体験した人(イザヤ9章6節)…イエスと命名された幼な子を連れて宮に入ったマリヤとヨセフ。そこでイスラエルの慰めとエルサレムの贖いを待ち望んでいた預言者シメオンとアンナに出会いました。この二人を通してイエス様が救い主(キリスト・メシア)であることが証明されました。イザヤ9章6節、同42章6節には「異邦人の救いとイスラエルの民の救いのためにひとりの男の子が生まれる」と預言されています。シメオンとアンナは、長い間、このことばを伝え聞いて、ついに待ち望んで来た救い主に会ったのです。
- 幸いな人(ルカ1章45節)…飼い葉桶に寝ている赤ちゃんイエス様を見た羊飼いもまた、ガブリエルによって語られた主のことばの実現を体験し、神を礼拝する者に変えられました。バプテスマのヨハネの両親エリサベツとザカリヤもそうです。エリサベツは「主が語られたことが必ず実現すると信じた人は何と幸いなことでしょう」と神を賛美しました。イザヤやシメオン、アンナはキリストが来られることを待ち望み、それは実現しました。今、私たちはキリストの再臨を待ち望む者です。日々の生活を送りながら、しかし必ず再臨されるキリストを待ち望むという生活は私たちの人生に大きな力と勇気を与えてくれます。そして主は、そのような私たちを幸いな者に造り変えて下さいます。
- 結び…「あなたを見捨てない、あなたを愛する」と言われる主は、様々な人を通して語られ、その愛を実現させて下さいます。一人ひとりに対しての主の祝福の計画も、時が来れば実現します。主に信頼して待ち望みます。
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