Posted on 08/09/2020 at 15:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『常祷・援祷・苦祷』(イエス・キリストの生涯 その120)(2020.8.9)

たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)

  • はじめに…原爆が投下されてすぐに救護活動に参加した医学生の濱清(はま きよし・故人)氏は、当時を回想して次のように述べています。「(救護活動を行った)山里地区は浦上天主堂に近いキリシタンの里で、負傷者の多くはカトリック信者の方々でした。(…)全身に真白に軟膏を塗られ、ほとんど身動きも出来ないほど衰弱しきった人たちが、夕方になるといっせいに身を起こしてタベの祈りを捧げる光景がうす暗い病室の中に見られました。そうしてその人たちも2~3日の間につぎつぎに死んでいきました。言葉に言い表しようのない哀しみと、この人たちをこのような残酷な目に会わせることを許し、しかもなお祈りの対象となっている彼らの神に対し深い怒りを感じたのを記憶しております。(…)あの祈りの姿に、すべてを奪われた人間に遺されたただ一つの尊厳の姿を見たのかもしれない(人間の犯した罪に対する謝罪の祈り(とりなし)だったのではないか)と思い至ったのは年月を経てからのことでした。」
  • 常祷…パウロはコロサイの教会の人たちに「たゆみなく祈りなさい」(コロサイ4章2節)と勧めています。“常に祈れ”ということです。祈りは“霊の呼吸”です。祈りが途絶えるとき、私たちの霊は窒息し、死んでしまいます。しかも“感謝をもって祈れ”と。要求ばかりの祈りをしていないか、問われます。
  • 援祷…また、「私たちのためにも祈ってください」(同3節)と、祈りの応援を要請しています。私たち自身の祈りと隣人の祈りが合わさることで、キリストの奥義、教会の奥義の門が開かれるのです。奥義とはユダヤ人と異邦人がともに救いに与るということです。開いてくださるのは主ご自身です。
  • 苦祷…そして「エパフラスが、(…)あなたがたのために祈りに励んでいます」(同12節)と、パウロは同労の祈りの働きを明らかにしています。エパフラスはコロサイ教会の人たちの信仰と愛をパウロに伝えました(同1章7-8節)。“励む”は“力を尽くす”“苦闘する”という意味です。“苦祷”する力は自力ではなく「うちに力強く働くキリストの力」(同29節)です。あの被爆者の尊厳を保ち、夕べの祈りに導いた、主の力です。
  • 結び…私たち一人ひとりを愛の帯でしっかり結び、それぞれの場所にあって、常祷、援祷、苦祷しつつ、平和の主なるイエス様の身体として、日々新しく成長させて下さる全能の主に感謝します。
Posted on 12/31/2018 at 17:11, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主の奇跡』(イエス・キリストの生涯 その46)(2018.12.30)

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)

  • はじめに…主の年2018年もあと1日で終わり、2019年にバトンタッチされます。今年2月に『イースターからいとすぎ教会は新しい歩みを始める』と、主の言葉を頂きました。そして、その通り私たちが想像もしなかった出来事が次々に起こり、主の憐れみに心から感謝します。①孫2人の受浸②悪性リンパ腫を患った友人が主によっていやされる③愛知県以外の方々が教会を訪問、また出会い④多くの方々の異言の解き明かしを通じて、主の御旨を知る等…。奇跡とは、過ぎ去って振り返った時に気づく主の足跡です。主はいつも将来を語られ、私たちは過去を振り返って主の奇跡を確信し、将来を見ます。
  • もうひとつのクリスマス…シメオンは『メシアを見るまでは死なない』(ルカ2章26節)と聖霊のお告げを受け、その時を待っていました。そしてイエス様が誕生後8日目に神殿に両親と共に行った時、シメオンは出会います。『ついに待ち望んだメシアを見た』(同30節)と歓喜し、『このメシアは異邦人の光』(同32節)であると預言します。それはユダヤ人によって異邦人の祝福が明示された出来事でした。それからおよそ2年後、東方より博士が不思議な星(主の光)に導かれ、メシアを訪ねてやって来ます。そして幼子イエス様を礼拝しました。異邦人として最初にクリスマスを祝ったのです。
  • 主の奇跡…アブラハムを通して『すべての人を祝福する』(創世記12章3節)と主は約束されました。ユダヤ人である羊飼いたち、異邦人である東方の博士たち、共にイエス様の誕生を祝いました。まさに“すべての人を祝福する異邦人の光”が実現しました。最初のクリスマスの出来事を振り返る時、主の奇跡を見ます。
  • 結び…将来を約束し語って下さる主。過ぎ行く2018年を振り返りつつ、新しい2019年も、主の確かな愛の約束を望み、感謝します。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29章11節)
Posted on 12/23/2018 at 19:42, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス・キリストの誕生』(第4アドベント)(2018.12.23)

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

(ルカによる福音書2章8-10節)

  • はじめに…きょうは4本目と5本目のキャンドルに火が灯りました。これは「マリアのキャンドル」と「キリストのキャンドル」です。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1章38節)と、みこころを受け止めたマリアの信仰による従順を象徴するキャンドルです。そして闇を照らす「世の光」が、主イエス・キリストであることを象徴するキャンドルです(ヨハネ1章5、9節、8章12節参照)。
  • 野宿で夜番…今日の夜明け前、満月が空高く冬至の夜空を冷え冷えと照らしていました。あまりに遠く、寂寥感と孤独を感ぜざるを得ませんでした。「草木も眠る丑三つ時」とはよく言ったものです。私自身、夜勤の経験がありますが、皆が寝静まった時間に仕事をすることは結構、辛いものです。その時の感じを思い出したのかも知れません。今日の聖書のテキストでは、羊飼いたちが野宿をしながら羊を狼などの外敵から守る夜番をしていたことが記されてあります(ルカ2章8節)。生業とはいえ、賎業とみなされ、罪人扱いされながらの働きはきっと辛いものだったでしょう。あるいは割り切っていた羊飼いもいたかも知れません。
  • 主の栄光…その彼らの周囲を“主の栄光”が照ったのです。思いがけない、予測不能の、ある意味、異常な出来事が起こったのです。月明かりでもなく、星の輝きでもなく、また流れ星でもオーロラでもなく、イスラエルの民の間から久しく姿を消していた“主の栄光”に照らされたのです。予想もしていなかったあまりの出来事に羊飼いたちはひどく恐れたのです(同9節)。
  • 御使いの知らせと賛美…その恐れ惑う彼らに、御使いが「恐れることはありません。喜びを知らせに来た」(同10節)と告げます。その内容は「救い主が生まれ、布にくるまって飼葉おけに寝ている」(同11節)というものでした。それに続き賛美が響き渡りました。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」(同14節)。
  • 結び…栄光と平和。別の言葉に言い替えるなら喜びと感動、そして和解の力。その源泉が、旅先でのイエス様の誕生に込められた奥義です。
Posted on 12/16/2018 at 15:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主の約束のリレー』(第3アドベント)(2018.12.16)

預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう」(マルコによる福音書1章2節)

  • はじめに…2018年のアドベントの第3週を迎えました。メシア・イエス様のご誕生を感謝と喜びをもって祝いつつ、アドベント・キャンドルに1本ずつ火を灯していきます。そして再び来られるその時を待ち望みます。今日の3本目のキャンドルは「バプテスマのヨハネのキャンドル」です。
  • 父なる神のご計画…マルコは「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」(マルコ1章1節)としてバプテスマのヨハネ(以後ヨハネと記す)を紹介しています。それはイエス様の公生涯はヨハネの登場から始まっていることを示唆しています。マルコ1章2節では「父なる神はイエスに使い(ヨハネ)を遣わし、イエスの道を整えさせる」、同3節では「荒野にて彼(ヨハネ)に呼ばわり、イエスの道を用意せよ」と命じられました。主は預言者を通してメシアの到来と、その前に主が使いを遣わすことを約束されました。そしてヨハネの登場により、この約束が実現したのです。マルコが引用したイザヤ書のことばは出エジプト記23章20節、イザヤ書40章3節、マラキ書3章1-3節をまとめたものです。
  • 荒野にて、主の約束…エジプトから救い出されたにも関わらず、民のつぶやきは噴出します。そのような民に主は、モーセを通して使い(イエス様)を送り、「あなたを守り、導く」(出エジプト23章20節)と約束されます。また主は、主への背信によってバビロンに捕囚となることを告げますが、イザヤを通して慰めと解放を約束されます(イザヤ書40章3節)。捕囚から解放後、ギリシヤの支配下で苦しみ、神に背く民、そして祭司までが堕落しました。主はその罪を指摘されます。しかしマラキを通してメシアを送ることを約束されました(マラキ書3章1-3節)。民は主に背を向けてばかりです。それでも主はその背中から「あなたを守り、導く、メシアを送る」と語り続けられました。そしてその約束はヨハネの登場、イエス様へのバトンタッチによって実現しました。
  • 結び…私たちの人生において荒野を通ります。主はどんな時も、その荒野を共に歩いて下さいます。ヨハネからイエス様へ、そしてイエス様の約束は私たちに。感謝。
Posted on 12/13/2018 at 20:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『力ある神のささやき』(第2アドベント)(2018.12.9)

地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」(Ⅰ列王記19章12-13節)

  • はじめに…2018年のアドベントの第2週を迎えました。メシア・イエス様のご誕生を感謝と喜びをもって祝いつつ、アドベント・キャンドルに1本ずつ火を灯していきます。そして再び来られるその時を待ち望みます。今日の2本目のキャンドルは「預言者のキャンドル」です。また今日は“ユダヤ人のクリスマス”とも呼ばれているハヌカー7日目になります(最終は8日目)。
  • 預言者エリヤ…メシア来臨の預言を告げる預言者としてはイザヤ、エレミヤの他、ミカを取り上げることが多いのですが、今日はそれらの預言者の活躍した時期をさらに遡って、紀元前9世紀に北イスラエルに現われた預言者エリヤです。「カルメル山での戦い」が最も有名です。アハブ王の治世、フェニキアの偶像バアルを崇拝する450人の預言者との対決です。主なる神対バアル、二者択一の戦いです。エリヤは主なる神への信仰を回復するために、生命を賭して戦ったのです。
  • 挫折のなかで…バアルの預言者との戦いには勝利したものの、アハブ王の妻、王妃イゼベルの憎しみを買い、命を付け狙われ、その場から逃れます。この大きな挫折のなかで、自らの死をも願いましたが、ひとりの御使いによって力を得、モーセが主と遭い、十戒を授けられたホレブの山へひとり退き、祈りました。追い詰められた思いを主に向けて訴えました。きっと偉大なモーセの出来事と同じように雷が鳴り響き、山が震え、火の中に主が現れることを期待したことでしょう(出エジプト19章16-19節)。実際、同じように地震が起こり、燃え立つ火が現われましたが、そこに主はおられませんでした。
  • 主のささやき…主はエリヤの期待していたように劇的に現われることはありませんでした。むしろエリヤの期待を裏切るように主は、かすかな細い声、ささやきをもって語られました。その主のささやきが、恐怖で嵐のように騒ぎ、同時に怒りで打ち震えるエリヤの心と体を静め、これからの歴史の成り行きと、使命を示されたのです。アドベント。それは信仰のアドベンチャー(冒険)。
  • 結び…今週一週間、静かにイエス様の降誕の出来事を想い起しながら過ごすアドベントの時となるよう祈ります。
アーカイブ ログイン お問い合わせ