Posted on 10/18/2020 at 18:40, by matsumoto
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。(テモテへの手紙第1 2章6節)
- はじめに…私の勤めるデイサービスの利用者さんで写真が趣味の方があり、定期的にご自身で撮った写真パネルを持ってきて展示しています。素晴らしい写真で、被写体から躍動するいのち、音、香り、時の流れ、メッセージが伝わって来ます。写真の力は凄いと思います。先週、家内と二人で久々に映画を観にいきました。『浅田家』というタイトルで、家族の絆をテーマにした映画でした。幼い頃、誕生日プレゼントにカメラを父から譲り受け、写真が好きになった政志。写真専門学校を何とか卒業した後、苦悶の末、一念発起し上京。しばらくして賞を受賞。その後、日本中の家族から撮影依頼を受け、写真家としてようやく軌道に乗り始めたとき、東日本大震災が。写真を一枚一枚洗って、家族の元に返すボランティア活動をする中、一人の津波で父を失った少女が現れる。「私も家族写真を撮って欲しい」
- 祈りの勧め…テモテへの手紙は、パウロが教会の若き指導者であったテモテに、牧会上の指示、助言、励ましを与えるために書いた手紙で「牧会書簡」と呼ばれています。今日のテキストは、イエス様が神と人との交わりを回復する仲介者となられたことを明らかにし、その上で教会における男性、女性それぞれの特性に適った振る舞いの指示を与えています。
- 祈りと慎み…1節で「すべての人のために(…)願い、祈り、とりなし、感謝」せよと勧められています。祈りと願いは自分のためにするものではなく、他者、さらには迫害者のために主に祈るのです(マタイ5章44節参照)。なんとなれば4節に述べられているように神が「すべての人が救われて、真理を知る」ことを望んでおられるゆえです。真理はイエス様です(ヨハネ14章6節)。神様は善なるゆえに世界を創造され、善なるゆえに一人も取り残すことなく救おうと計画しているのです(同上)。その救いの方法はすべての人の贖いの代価としての独り子イエス様を世に遣わすことでした(第一テモテ2章6節)。キリスト者には「力と愛と慎みの霊」、すなわち聖霊が与えられています(第二テモテ1章7節)。聖霊の導きに従うことは苦しみの伴うことが多いですが、耐え忍ぶとき、霊の子どもが与えられ、祝福を受けます(第一テモテ2章15節)。その“あかし”のために信仰と真理を教える使徒に任じられた、そうパウロは語っています(同7節)。
結び…イエス様をこの世に遣わし、そして聖霊を遣わし、すべての人を救ってくださる全能の父なる神様に感謝を捧げる日々であるよう祈ります。
《追記》
zoom参加を希望される方は10時15分-25分の間に
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※注意事項
①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除をします)
②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります
Posted on 10/11/2020 at 17:07, by matsumoto
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第1 1章16節)
- はじめに…礼拝に参加している方から「礼拝で『使徒信条』を唱和していますが、どのような考えからでしょうか…」ということでした。今回、重要な問いかけを頂いたことを契機に、「使徒信条」を通して、使徒たちのイエス様に対する信仰の歩みを振り返り、自らの信仰と、いとすぎ教会の成長していく方向性を確認していきたいと思わされています。
- シムハット・トーラー…仮庵の祭の8日目は、神様がユダヤ人に律法を与えたことを喜ぶシムハット・トーラー(律法歓喜祭)です(レビ記23章36節)。ユダヤ教のシナゴーグでは1年かけてモーセ五書を朗読するのですが、この日、朗読が一巡し、新たに創世記1章1節からの朗読に戻ります。会衆はトーラーの巻物を抱えて喜び踊り明かします。イエス様は「律法を成就するために来た」(マタイ5章17節)と語られました。如何せん、誰一人として律法を完全に守ることのできる人はいません。ですから律法は罪を明らかにします。使徒パウロが語ったように「だれひとり神の前に義と認められない」(ローマ3章20節)のです。その罪人の私たちを恵みによって義とし、救ってくださる唯一の方が主イエス様です。主イエス様が律法を成就し、救うために世に来られたのです(ルカ19章10節、ヨハネ3章17節、12章47節)。イエス様は仮庵の祭の初日に生まれ、8日目に律法に従い、割礼を受けられました。シムハット・イェシュアー
- 罪人のかしら…今日のテキストにあるように、パウロは確信を持って「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」と宣言し告白しています。しかも自身を「罪人のかしら」と言い、自分が恵みにより信仰によって救われているのだから、イエス様のあわれみから漏れる人は一人もないという強い確信が伝わってきます。パウロ同様、主の恵みは、信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになります。律法の成就者なる主イエス様は、救いの完全な成就者です。使徒パウロが信仰を告白したように、使徒ペテロもイエス様に直接尋ねられ「あなたは、キリスト(メシヤ)です」(マルコ8章29節)と告白しています。また十字架のイエス様の正面に立っていた百人隊長も「この方はまことに神の子であった」(マルコ15章39節)と口をついて告白せずにはおれませんでした。救い主イエス様は、私たち一人ひとりの告白の導き手です。
- 結び…使徒たち一人ひとりの信仰告白そして使徒信条が、皆さん一人ひとりの信仰告白の契機となり、救いの喜びをともに喜べるよう、祈ります。
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Posted on 10/04/2020 at 16:33, by matsumoto
どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。(テサロニケ人への手紙第2 3章16節)
■はじめに…先週10月1日は私の父の88歳(米寿)の誕生日でした。プレゼントは何にしようかと思案した結果、父の若かった頃、好んで被っていた“ハンティング帽”にしました。まだ近所の公園までは散歩できるだけの筋力はあるので、少しおしゃれをして気分良く出かけてくれれば、そんな思いで贈りました。ちょうどその日は“中秋の名月”で煌々と夜空に照っていました。
■仮庵の祭…翌日2日の日没からユダヤ三大祭りのひとつ“仮庵の祭”が始まりました。庭やベランダに“スッカー”という簡易な小屋を建てて、家族、親戚がその仮小屋で過ごします。収穫の恵みの感謝(出エジプト記23:16)という側面と、エジプトでの奴隷状態から解放されたイスラエル民族が、約束の地に行く40年間の荒野放浪生活を主が守ってくださった歴史(レビ記23:42-43)を記憶する側面があります。また壊れやすく、風雨に対して無防備な仮の住まいは人間存在の億弱さを表していると同時に、その脆い人間を覆っている主の守りが、過去も現在も、そして将来にわたってあることを覚える機会になります。
■水を注ぐ…仮庵の祭りでは、「水取りの儀式」がシロアムの池で行なわれました。大祭司が金の杓子をもってシロアムの池から水を汲み、イザヤ書12章を歌いながら行列を組んで神殿まで運びます。また祭壇の南西側に柳の木を立てました。そしてその水を祭司の庭にある祭壇の西に注ぎました。六日間新しい柳の木の枝を立てておき、仮庵の祭りの最後の日には、祭壇がある祭司の庭にすべてのイスラエルの巡礼者に(女性も子どもたちにも)開放されました。仮庵の祭りの最後の日には、祭壇の周囲を七回りしました。この時、巡礼者たちは祭壇の周囲を回りながら、詩篇の祈りを切にささげました。水がないため渇いてしおれて行く柳の木の枝を横に、「主よ。どうか私たちを救ってください。」(詩篇118:25)と叫びながら祈りをささげたのです。
■大声で叫ばれたイエス様…イエス様は仮庵の祭りの最終日、神殿の祭司の庭に出て行かれ大声で叫ばれました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心(=腹)の奥底から、生ける水の川(=聖霊)が流れ出るようになる」(ヨハネ7章37、38節)
■結び…仮庵の祭りのこのとき、救い主イエス様が贈り物として聖霊を皆さんお一人ひとりの内側に注いでくださっていることを信じ、感謝します。
《追記》
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Posted on 09/27/2020 at 19:27, by matsumoto
不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。(テサロニケ人への手紙第2 2章7節)
はじめに…先週、川の土手や田んぼの畔に深紅の曼殊沙華が一斉に咲き誇っていました。毎年、時期を違わず開花するのを見、神様の創造の御手の業に想いを馳せます。日本ではお彼岸の行事が行われますが、イスラエルでは“大贖罪日(ヨムキプール)”の時期(今日の日没から)ですから、一面真っ赤に染まった光景からイエス様の血潮を想い起こします。
ヨムキプール…贖罪の日はシナゴーグに集まり、断食と祈りに専念します。(ただ、今年は事情が違い、25日(金)からイスラエルは全土を封鎖していて、家から1キロ以上の外出は禁止、祈りやデモは屋外で20人以内のみ許可。食料品店や薬局などは営業継続されていますが、シナゴーグは閉鎖になっています。)断食は苦行をして神様の憐れみを受けることではなく、「他の誰とも変わらない人間であることを証明するため」に断食をするのだとラビ・ハロルド・S・クシュナー氏は言います。不完全の間違いの多いありのままの存在として神様の前に出ることです。そして「コールニドレイ(すべての誓い)」という祈りを唱えます。この祈りは、昨年に立てたすべての誓いや約束に応えることができなかったことで、この新年に自分が非難を浴びないように解放を求める祈りです。「私たちは騙しました。私たちは悪意に満ちた噂を流しました。私たちは食べ放題、飲み放題してきました。私たちは両親や先生に敬意を払いませんでした…」
引き止める…さて、今日の聖書のテキストはテサロニケ人への手紙 第2 2章です。特に6節、7節に注目してみたいと思います。“引き止める”というのは、ヘブル語訳聖書ではアーサル(引き止める、(神罰)がとどめられる)です。旧約で同じ言葉が使われている箇所のひとつに、ダビデがアラウナの麦打ち場を買い取る記事が第2サムエル書24章21、25節にあります。「主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。」
ただ一度…大祭司が年に一度、贖罪の日に神殿(幕屋)の至聖所に入り、全イスラエルのための罪を贖う血を主にささげて、民が犯したすべての罪の赦しを得ていました。有効期限は1年でしたが、イエス様はご自身を贖いとしてささげ、永遠の和解を成就されたのです(へブル人への手紙10章10節)。
結び…皆さんお一人ひとりが永遠の贖いのこひつじなる主イエス様の血潮に守られて平安のうちに日々を過ごされるよう祈ります。
Posted on 09/20/2020 at 17:14, by matsumoto
兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長(=超越)し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わって(=内に創られて)いるからです。(テサロニケ人への手紙第2 1章3節)
- はじめに…イスラエルでは9月18日の日没からユダヤの新年(ローシュ・ハシャナー)を迎えました。この時期、いとすぎ教会の出来事は何があったかを振り返ろうと思い、日記を開くと、3年前の9月27日、私たちの知人Тさんが闘病生活の末、天に召されたのでした。ちょうどその日、私たちはТさんのお見舞いに病院へ出向いたところでした。Тさんは「フランシスコの平和の祈り」が好きでしたし、その祈りのように生きようとしていました。
- 主の日がすでに来た?…今日のテキストは、先にパウロがテサロニケの教会に最初の手紙を送った後、誤解が生じたため、あらためて手紙を送り、誤った理解を修正するために書かれたものです。その誤解というのは「主の日がすでに来た(世の終わりは近い)」と考えて、働くことをやめたり、落ち着かない生活を送ったり、焦燥感を抱いたりしていたことです(②テサロニケ2章2節)。疫病や災害、社会不安や経済危機が語られる現代に生きる私たちも、自分自身のことと受け止める必要があります。
- 神の国のため…そのような中、迫害や患難(使徒の働き17章参照)に耐え信仰生活を営んでいたテサロニケの兄弟姉妹があり、それらの人々をパウロは「誇りとしている」(②テサロニケ1章4節)と語ります。迫害や患難に耐え忍んでいる兄弟姉妹の在り様は、「神の国のため」(②テサロニケ1章5節)なのだと、パウロは続けて語ります。
- 信仰の成長…信仰は逆境の中で養われ成長します。もちろん自分自身で成長するのではなく、成長させてくださるのは神様です(①コリント3章7節)。霊的な成長は、自分自身でも信じられないほど成長する可能性をうちに秘めています。パウロはテサロニケの信徒たちの成長の姿を“信仰が目に見えて成長し”“愛が増し加わって”と表現しています。それぞれの原語の語意を直訳すれば信仰は“上に向かって超越”し、愛は“内に向かって創造”されると訳せます。その成長の力が疑惑の黒雲を突き抜け、憎しみの荒波を内から鎮めます。
- 結び…疑惑(不信)と憎悪に翻弄される世にあっても、信仰を成長させ、愛を増し加えてくださるイエス様につながって、新しい一週間を生きる皆さんであるよう、祈ります。
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