Posted on 01/05/2023 at 14:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『御子イエス様の誕生』(新約に引用されている旧約 その30)(2022.12.25)

(…)また、その骨を一本でも折ってはならない。すべて過越のいけにえのおきてに従ってそれをささげなければならない。(民数記9章12節) /この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない。」という聖書のことばが成就するためであった。(ヨハネの福音書19章36節)

 

◆はじめに…私たちはアドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯してきました。そして本日の降誕日、クランツの中央の「キリストのキャンドル」に明かりが灯り、すべてのキャンドルに明かりが灯りました。

◆ウクライナのクリスマス…首都中心部のソフィア広場には毎年、高さ31メートルのツリーが立てられたが今年は規模を縮小して高さ12メートルのツリーに。電力不足を反映し、ツリー脇には発電機が置かれ、電飾も省エネタイプに。また大勢の人が集まる催しも中止に。そんな中にあっても30代の女性は「子供たちにとってクリスマスは特別な日。戒厳令下でも子供の楽しみを奪えない」「生きていることに感謝して助け合う。むしろクリスマス本来の精神に立ち戻る機会かもしれない」と戦時下でのクリスマスの意義を話していました。

◆御子イエスの誕生…ヨセフとマリヤは困難な旅の途中、月が満ち、何の準備もなく出産せざるを得ませんでした。心構えのないところに起きた出来事です。「布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかった」(ルカ2章7節)。非常事態下にあるウクライナの人々も同様、暖房も照明も医療環境も十分ではない地下シェルターの中で、新しいいのちの誕生の出来事が日々、起こっていることでしょう。そこにイエス様は“インマヌエル”なる救い主として共におられます。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」(同11節)

◆主の恵み…世の片隅で起こった出来事が、実は新しい世界の始まりになる重大な出来事でした。そのことを最初に知らされたのが野宿していた羊飼いたちでした。羊飼いは“骨の折れる”きつい肉体労働です。年中無休です。そんな昼夜問わず羊を見守る羊飼いは高慢とは程遠く、こだわりのない心、砕かれた心の持ち主だったでしょう。それ故、主の恵みの言葉に近い。主の恵みに触れると人の心は喜びに満たされます。その体験の積み重ねが人生を前進させる力、真実の生きがいになります。イエス様の出来事は私たちの生きがいそのものです。

◆結び…私たちの日々の小さな出来事の中に、イエス様が底なしの恵み(カリス)、喜び(カーラー)を贈り物(カリスマ)として準備して下さっています。

Posted on 12/18/2022 at 20:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『あなたがたはわたしの民となる』(新約に引用されている旧約 その29)(2022.12.18)

わたしはあなたがたの間を歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる(レビ記26章12節) /神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(②コリント人への手紙6章16節) (新改訳2017)

◆はじめに…私たちはアドベント・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日はその4本目で「マリヤのキャンドル」です。マリヤが主の御言葉を受け入れ、御子イエス様をその胎に宿した、その従順、謙遜を象徴するキャンドルです。マリヤ自身、「ひどくとまどって(…)」(ルカ1章29節)と、聖書は率直に心の葛藤を伝えています。マリヤは受胎告知する御使いと問答するなかで「おことばどおりこの身になりますように」(ルカ1章38節)と、御使いのメッセージを受け入れました。ことばを耳で聞いて真の生命を懐妊した、科学の域を超える霊的な事柄です。これは自らのいのちを主に預ける覚悟、信仰による決断です。これは、とんでもなく大きな恵みの約束、誰一人信じてくれそうもない出来事を、身体丸ごと受け止めた歴史的事実(真実)なのです。

◆神の国の民…使徒信条第3項「主は聖霊によりて宿り、処女(おとめ)マリヤより生まれ」のヘブル語訳の使徒信条もありますが、その「聖霊により宿り」のところを日本語に訳すと「聖霊によって熱心に捜し求められた」となります。マリヤを熱心に捜し求められた主は、世に惑わされ、迷える私たち一人ひとりをも熱心に捜し求め、神の国の民(=わたしの民)として回復してくださるお方です。私たちの国籍は天にあります(ピリピ3章20節)

◆思い巡らす(後悔する?)…マリヤが身重になったことが明らかになったとき、ヨセフは「内密に去らせようと、思い巡らした」と聖書は記します(マタイ1章20節)。この「思い巡らす」という言葉は70人訳聖書の創世記6章6節で用いられています。ヘブル語聖書では「主は、地上に人を造ったことを悔やみ(後悔し)(…)」です。最近、『母親になって後悔している』というタイトルの本が話題になっています。結局のところ、母親というレッテル(役割)を負わされている人が、“私”という一人の人間として生きていければいいね、ということです。「後悔する」という語はアラム語においては「慰める・(死者を)よみがえらせる」です。

◆結び…まさに抑圧された者を慰める者、再び立ち上がらせる者として主イエス様がお生まれになったのです。

Posted on 12/16/2022 at 09:41, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『しかし、わたしはあなたがたに言います』(新約に引用されている旧約 その28)(2022.12.11)

骨折には骨折。目は目。歯には歯。人に傷を負わせたように人は自分もそうそれなければならない(レビ記24章20節) /『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。(マタイの福音書5章38節)

◆はじめに…今年の「新語・流行語大賞」は「村神様」。プロ野球チームのヤクルトの村上宗隆(むらかみ むねたか)選手の活躍ぶりに対して付けられた呼び名です。そう呼ばれることに対して本人は「僕は人間なので、人間として見てもらえれば嬉しいですね」。

◆荒野で叫ぶ声…私たちはアドベント・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日はその3本目で「バプテスマのヨハネのキャンドル」です。バプテスマのヨハネは、救い主なるイエス様を世の人々に、いち早く証しました。荒野で悔い改めのバプテスマを授け、多くの弟子を持っていたヨハネは、自己アピールでも自己承認でもなく、主イエス様を指し示し、主の顕れを人々に備えることに徹していました。自らを「キリストではない」「エリヤでもない」(ヨハネ1章20、21節)と、自分はただ脇役として「荒野で叫ぶ声」だとしました。

◆世界の声…日本では「村神様」が新語・流行語大賞になりましたが、アメリカでは「ガスライティング」、イギリスでは「ゴブリンモード」でした。「ガスライティング」は「自らの利益のために他人を著しく誤解させる行為」を言い、「ゴブリンモード」は「悪びれることなく、やりたい放題、怠惰でだらしなく、欲望のままに振る舞う」こと。どちらも自分さえ良ければ的なエゴイスティック(自己中心主義的)な世相を反映しています。

◆イエス様の声…エゴイズムが拡大する世相の中で、私たちは静かにイエス様の声に耳を傾けたいと思います。イエス様は「あなたがたは今、世界の四方から届くさまざまな声を聞いている。しかし、わたしはあなたがた(一人ひとり)に言います」(マタイ5章39節参照)と語られています。イエス様は、主が創造された掛け替えのない私たち一人ひとりに声を掛けて下さっています。差別や偏見、誤解の蔓延(はびこ)る世の中にあって、一般論や常識に囚われない“いのちのみことば”を語られます。「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」「敵を愛しなさい」(マタイ5章39、44節)

◆結び…バプテスマのヨハネ(旧約最後の預言者)が指し示した主イエス様は、生涯、私たち一人ひとりと共に生きてくださる唯一のお方です。

Posted on 12/16/2022 at 09:37, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『預言者の声に聞き従う』(新約に引用されている旧約 その27)(2022.12.4)

その日に身を戒めない者はだれでも、その民から断ち切られる(レビ記23章29節) /その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる(使徒の働き3章23節)

◆はじめに…来年4月に居を移すことをお話しました。今から移住先の住居の改修や引っ越しの際の持ち物等をはじめ、新しい生活の具体的な構想を描いています。イエス様はおっしゃいました。「心を騒がすな。わたしは場所を備えに行く。あなたがたに場所を備えたら、また来て、わたしのもとに迎える」(ヨハネ14章3節)

◆預言者のキャンドル…先主日からアドベント(待降節)の時を過ごしていますが例年と同様、アドベント・クランツのキャンドルに火を灯していきます。本主日アドベント第二主日は「預言者のキャンドル」です。旧約聖書は39巻の書物で構成されていますが、モーセ五書(5巻)・歴史書(12巻)・詩歌(5巻)、そして預言書(17巻)に分類されますが、預言書は預言者たちに託されたメシア来臨の預言が、イエス様の誕生によって成就したことを象徴しています。アドベントは“到来”とともに“冒険”という意味ですから、大胆に危険な場所に踏み込むということです。困難な闇の世に、希望と平和と喜び、そして愛を携えてイエス様が来られる、そのメッセージを預言者は伝えると同時に、預言者は再臨のイエス様をも預言しています。

◆ラッパを吹き鳴らす…本主日のテキストはユダヤ暦による第七の月に始まる新年(ラッパの祭り)、贖罪の日、仮庵の祭りの文脈でのみことばです。これら秋の祭りはイエス様の再臨を表している型です。①テサロニケ人への手紙には、イエス様が「神のラッパの響きのうちに」再臨されることが記されてあります(①テサロニケ4章16節)。イエス様は地上生涯最後の仮庵の祭りの大いなる日、ラッパの響きに勝る大声で『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れるようになる』(ヨハネ7章37-38節)と叫ばれました。ユダヤ教のシナゴーグで贖罪の日に朗読される箇所に、イザヤ書58章があります。冒頭、主が預言者に命じたのは「大声で叫べ。角笛(ラッパ)のように声をあげよ」でした。私たちの偽善を明らかにし、その上で、主が私たちをどれほど大切に思っておられるかを告げています。

◆結び…主イエス様は間違いなく私たちのために御国の住まいを備え、ラッパの響きとともに迎えに来てくださるお方です。心騒がすことなく、主の再臨を待ち望みつつ、2022年の待降節の時を共に過ごしたいと思います。

Posted on 11/27/2022 at 17:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『聖なるアブラハム』(新約に引用されている旧約 その26)(2022.11.27)

(…)あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない(レビ記19章2節) /それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」と書いてあるからです(①ペテロ1章16節)

◆はじめに…先主日20日から23日の三泊四日の日程で壱岐に行ってきました。そこで主は驚くべき御業を見せてくださり、主が生きておられること、主の山に備えがあることを畏れとともに確信する体験をさせて頂きました。

◆行きなさい…本主日からアドベント(待降節)です。例年と同様、アドベント・クランツのキャンドルに火を灯していきますが、アドベント第一主日は「アブラハムのキャンドル」です。「わたしが示す地へ行きなさい。あなたを大いなる国民とする。すべての民族はあなたによって祝福される」(創世記12章1-3節)「モリヤの地に行きなさい」(同22章2節)との主の約束を信じて信仰の歩みを始めた“信仰の父”アブラハム。主の約束を信じて歩んだ、その主の約束の成就としてのイエス様の誕生へと引き継がれてきたことを想起するキャンドルです。

◆アドナイ・イルエ(主は備えてくださる)…主の御声に従って七十五歳で故郷を旅立ったアブラハムは百歳で息子イサクを得ました。しかし、その最愛の息子イサクをささげよと主は語られました(創世記22章2節c)。私たちも人生で何度か重大な決断を迫られる場面に遭遇します。そのとき私たちは、主の御心に信頼して歩みを進めます。しかし先行きが見通せないため、不安や怖れを抱きます。そんな私たちに内なる聖霊様は「アドナイ・イルエ(God will provide)」(主は備えて(見つけて)くださる)との宣言を語らせてくださいます(同8節、14節)。主はプロバイダーです。事実・現実のこの世のただ中で、霊的真実の御国と私たちを結んでくださいます。そして私たちが輝いて生きられるように天の門を開いてくださいます。これは神の摂理(providence)です。

◆聖なるアブラハム…本主日のテキストの主題は「聖」です。ヘブル語で“カドーシュ”です。カフ(ק)・ダレト(ד)・シン(ש)で作られています。カフは「犠牲」ダレトは「門」シンは「口」の意味を持っています。イサクをささげ、アドナイ・イルエを宣言し、天の門が開かれたアブラハムはまさしく“聖”を生きたと言えます。アブラハムの生涯は、天の聖なる神を指し示しています。独り子イエス様を贖いの小羊として十字架に付けられ、私たちを罪から救い出し、御国に住まいを備え、迎えに来てくださいます。

◆結び…主は私たちを見つけ出し、平和と歓喜に満ちた御国の住まいを備え、迎えに来てくださるためにイエス様をこの世に誕生させてくださったのです。

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