Posted on 02/21/2016 at 04:16, by matsumoto
写真=イエス様が祈られた山腹
そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。(ヨハネ福音書6章15節)
- はじめに…本主日は受難節第2主日です。イエス様が十字架を背負って歩まれた苦しみの道行きは「ビア・ドロローサ」(儀式用)と呼ばれ、14のステーションが設けられています。①十字架(死刑)の宣告を受ける⇒②十字架を受け取る⇒③倒れた⇒④マリヤと出会った⇒⑤クレネ人シモン⇒⑥ベロニカ(カペナウムでイエス様を触った長血の女?)がイエス様の顔を拭く⇒⑦二度目倒れる⇒⑧女たちに「私のことで泣くな」と言われる⇒⑨三度目倒れる⇒⑩裸にされる⇒⑪十字架に釘付けされる⇒⑫磔⇒⑬取り下ろされる⇒⑭墓
- イエス様を王に担ぐ…今日の聖書の箇所は、イエス様が5つのパンと2匹の魚を、集まった5千人の人々に分け与えられた奇蹟の直後の出来事です。当時、多くの人々は、ローマ帝国の圧政に苦しんでいました。そのような中で、イエス様の奇蹟やいやしを見聞きし、王に担ぎ上げようとしたのです。
- 十字架の道がイエス様の王道…しかしイエス様は、ひとり、山に退かれました。もしイエス様に政治的な野心があったなら、その人々の熱狂的な思いを背に、一大センセーショナルを巻き起こしたでしょう。しかしイエス様は、そうはなさいませんでした。イエス様が父なる神から託されていたのは“十字架の道”でした(ヨハネ2章19節)。イエス様は、人の思いや言葉におもねったり、引きずられたりされることはありませんでした。祈りによって父なる神の御心に耳を傾けられ、従順に御心を行われました(ヨハネ5章30節)。
- 恐れることはない…イエス様が山に退かれ、祈っておられる時、弟子たちは湖で強風に翻弄されていました。きっと恐怖で生きた心地がしなかったことでしょう。イエス様は、その弟子たちの情況を察知され、湖の上を歩いて近づかれ「恐れることはない」(ヨハネ6章20節)と声を掛けられました。依然として強風は続いていたでしょうが、舟は目的に着いたのです。
- 結び…「恐れることはない」と御声を掛けて下さる主に信頼して歩めますように。
You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.
|