Posted on 01/11/2015 at 07:06, by matsumoto
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。(Ⅰテサロニケ5章23節)
- はじめに…昨日、我が家の排水管が詰まり、排水が溢れるというハプニングがありました。原因は少しずつ管に付着したゴミ。私たちは霊の通路です。この通路に世俗の様々な煩いが蓄積していないか、こまめなチェックが必要ではないかと考えさせられました。
- 救い…聖化は、地上の生活では未完成で(Ⅰテサロニケ5:23)、まだ残っている腐敗のため、霊と肉との葛藤があります(ガラテヤ5:17 、エペソ6:10、Ⅰテモテ6:12)。新生も、キリストとの結合も、回心も、義認も、子とされることも、一回だけの経験ですが、聖化は継続的になされるものです。
- 聖なるものは…「聖」(口と王と耳から成っている)の字源は、祝詞を唱え(=口の部分)、つま先立って神に祈り(=王、壬の部分)、神の声、神の啓示を聞く(=耳の部分)ことのできる人の意味です(白川静著『常用字解』より)。
- つま先立って祈り…目の前に高い塀があったり、深い穴に落ちたりして先が見えないとき(神様が見えないとき)、私たちはきっと“つま先立って”塀の向こう側(見えない方)に向かって叫ぶでしょう。主は、世と肉なるからだ(塀と穴)によって不自由になっている私たちの切なる祈りを、身を乗り出して聞いて下さいます。
- 賛美し…幼子と乳飲み子の口に賛美を用意してくださる主は、不自由な中で祈る私たちを、そこから引き出してくださいます。このような体験をすることで私たちは、主が生きておられ、人生の歩みを確かにされることを確信し、賛美に導かれます。
- 耳が開かれる…その私たちのささげる賛美を受けてくだり、今度は主が、私たちの霊の耳を開いてくださり、御声が聞こえるようにしてくださいます。祈りを聞いてくださり、賛美を受けてくださり、御声をかけて下さる主を身をもって体験する過程が、“聖化”です(詩篇40編1-3節)。
- 結び…新しい週、私たちの祈りを聞き、賛美を受け、そして御声をかけてくださる主が、皆さんお一人ひとりと伴ってくださることを信じて、感謝します。
You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.
|