Posted on 06/17/2024 at 16:43, by matsumoto

『真実の礼拝』(新約に引用されている旧約 その91)(2024.6.16)

(…)これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ(…)(イザヤ66章1,2節) /(…)わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか。(使徒7章49,50節)

◆はじめに…リモート礼拝に参加している姉妹が、今、6月中のオープン予定で、キンパのテイクアウトのお店を準備しています。ご自身のフェイスブック(Mami Sakurai)にも準備中の写真(美味しそうなキンパ等)を掲載していますので、ご覧ください。すでに通りがかった方々が「いつ開店ですか」と声を掛けてくださっているようです。きっとキンパを食べたお客さんの笑顔と、幸せな気持ちが地域に拡がっていくことでしょう。オープンが楽しみです。

◆神殿…さて今日のテキストはイザヤ書の最終書巻の冒頭部分と、それをステパノが生涯最後の宣教で引用したみことばです。ここのみことばは簡単に言えば、「創造主なるわたしが、自分の造った物(被造物)の中に住めると思うのか?」ということです。当然、答は“否”です。ですから神殿(第一神殿)建設に携わったダビデもソロモンも「私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意したこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。」(Ⅰ歴29:16)、「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」(Ⅰ列8:27、Ⅱ歴6:18)とそれぞれ祈っています。しかし、第一神殿はバビロンによって、その後再建された第二神殿もローマによって破壊されています。イザヤはこの神殿崩壊を預言しました。なぜなら神殿は「すべての民の祈りの家」(イザヤ56章7節、マタイ21章13節)であるにもかかわらず、偶像礼拝と富が、民の関心事であったためです。私たちは、目の前に見えるものに心を奪われがちです。しかし大切なことは目に見えないもの、こと、です。真の神殿なるイエス様との出会いと出来事です

◆真実の礼拝…宮よりも大きな者(マタイ福音書12章6節)が疲れ、渇き、八方塞がりの者(あるいは人目を憚るようにして生きている者)に出会ってくださる。あのサマリヤの女性に出会ってくださったように。そしてイエス様の方から声を掛けて下さる。そこでイエス様との霊的交流がなされる。これが真実の礼拝です。真実の礼拝には、鳩や羊(ささげもの)もお金も必要ありません。イエス様の愛に対し、聖霊の感動で震える霊とたましいと身体だけです。

◆結び…イエス様の私たちに対する圧倒的な愛の御業に感謝します。

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