Posted on 05/24/2020 at 18:29, by matsumoto
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように(エペソ人への手紙3章19節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)
- はじめに…先週、私の勤めるデイサービスの利用者の息子さんが“ぞうのウンチ”で紙を作るビジネスをしていることをお話ししました。そのプロジェクトを分かりやすく説明した絵本『ぼくのウンチはなんになる?』がミチコーポレーションから出版されています。簡単に言えば、ゾウと人間が共生できるビジネスモデルです。傷ついたり、親を失ったゾウを保護して、そのゾウのウンチから紙を作っています。儲け優先ではなく、自然と人間への愛が基本にあります。
- 奥義と祈り…今日のテキストのエペソ3章は、パウロに啓示されたキリストの奥義と祈りが主題です。奥義は御霊によって啓示されているとパウロは語ります(5節)。つまり人の知識や能力によっては知ることができないのです。ですからパウロは、この奥義を知らせる務め=福音宣教は神の働きによって与えられた恵みだと言います(8節)。その内容は、「キリストの測り知れない富」です(同)。
- 計測不可能…人間の力、能力では計測不可能なキリストの富、そして人知をはるかに超えたキリストの愛(19節)。その富、その愛は如何ばかりでしょうか。パウロは祈ります。無防備な姿でこの世に生まれ、無力な姿で十字架に死なれたイエス様に、心の核心に住んでいただき、愛に根ざしているあなたがたが、キリストの富、キリストの愛に満たされる(プレーローマ=あふれ出る)ようにと(17-19節)。植物が地中深く根を張って、栄養分を吸収して生長するように、キリストが私たちの内の最も深いところに住んでくださり、そのキリストから愛を受けるとき、測り知れない主の富と愛があふれ出ると、パウロは確信してエペソの人々に、そして私たちに伝えているのです。
- いばらの冠と義の栄冠…富は永遠のいのち、聖霊、愛はあがないと、それぞれ言い替えてもよいでしょう。あがないの愛の御業と聖霊の働きが、私たち教会を通して知られることが、主の永遠の計画(経綸)だと、パウロは語るのです。愛に富まれるイエス様は、いばらの冠をかぶり(ヨハネ19章5節)、十字架に死なれました。それはパウロに、そして私たちに義の栄冠、朽ちない冠、いのちの冠を得させるためでした(Ⅱテモテ4章8節、Ⅰコリント9章25節、黙示録2章10節)。冠、栄冠はコロナ=クラウンです。
- 結び…新型コロナ禍の後、ポストコロナは、いのちの冠(The crown of life)を戴くための新しい時代の幕が開かれる、そう信じます。
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