Posted on 02/16/2025 at 17:27, by matsumoto
するとモーセのしゅうと(イテロ)は言った。「あなたのしていることは良くありません。」(出エジプト記18章17節)
◆はじめに…昨日(7日)は、私の61歳の誕生日でした。こどもの頃は、誕生日が来る度に、自分が少しずつ大人へと成長している感じがして、嬉しかったものです。しかし還暦過ぎると年々、体力の衰えを実感し、今後、どう自分の人生を終うかということに意識が向かい、憂いを感じます。だからこそ「(…)たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(②コリント4章16節)のみことばに励まされ、日々を生きる力が与えられ、感謝です。
◆良くありません…今日の聖書のテキストは、モーセのしゅうとのイテロの助言がテーマです。イテロはモーセの妻チッポラの父で、ミデヤン人の祭司です。モーセから、主がイスラエルの人々をエジプトから救い出し、それに伴う奇跡の数々を行なったことを聞き、主の偉大なことを知らされ感謝ました。ところが翌日、民がモーセのところに来て、様々な問題を裁いてもらおうと長い行列を作って順番を待っている様子を目の当たりにしました。モーセにとっても民にとってもあまりに負担があり、思わず「あなたのしていることは良くありません」と言わざるを得ませんでした。主の素晴らしさ、偉大さは良く分かった。しかしあなたのやっていることはどうなんですか?
◆私(ひとり)だけでなく…トーラー(モーセ五書)の中で「良くない」というフレーズがもう一つ出て来ます。創世記2章18節で「人が、ひとりでいるのは良くない」です。“独裁”“利己主義(自分ファースト)”ではなく、分かち合い、生かし合いが大切だということを、みことばは語っているのでしょう。イテロは助言の最後を次のように締めくくっています。「あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう。」(出エジプト記18章23節)。モーセはイテロの提案を受け入れました。
◆律法と平和…社会生活を営む上で、大切にすべき指針・基準として、主はアダムの時代には「善悪の知識の木」を備えられ、モーセの時代には「十戒」を与えられました。しかし私たち人間は自由意志をもっているが故に、自由を履き違え、間違いや失敗をする罪人です。律法の正義による裁きの前には誰も立ち尽くせないのです。皆、罪人であり、唯一イエス様の愛による裁きによってのみ、平安のうちに自分の居場所に帰ることができるのです(ヨハネ8章11節参照)。
◆結び…主イエス様は、裁くために来たのではなく、救うため、永遠のいのちを与えるために来た(ヨハネ福音書3章17節参照)とおっしゃっいます。新しい週、イエス様の愛に包まれて生き抜くことが出来るよう、お祈りします。
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