Posted on 12/22/2024 at 22:24, by matsumoto

『祈り、夢、行動』(ユダヤ人キリスト者と共に その13)(2024.12.22)

「ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。(創世記50章21節)

◆はじめに…本主日アドベント第四主日は「マリヤのキャンドル」です。マリヤが主の御言葉を受け入れ、御子イエス様をその胎に宿した、その従順、謙遜を象徴するキャンドルです。マリヤ自身、「ひどくとまどって(…)」(ルカ1章29節)と、心の葛藤を覚えつつ、「おことばどおりこの身になりますように」(ルカ1章38節)と、御使いのメッセージを受け入れました。ことばを耳で聞いて真の生命を懐妊した、科学の域を超える霊的な事柄です。これは自らのいのちを主に預ける覚悟、信仰による決断です。誰一人信じてくれそうもない出来事を、身体丸ごと受け止めた歴史的事実(真実)なのです。今日は『祈り、夢、行動』と題して、聖霊の導きに従って歩むことについて、共にみことばに聞いていきたいと願っています。

◆熱心に捜される主…使徒信条第3項「主は聖霊によりて宿り、処女(おとめ)マリヤより生まれ」のヘブル語訳の使徒信条もありますが、その「聖霊により宿り」のところを日本語に訳すと「聖霊によって熱心に捜し求められた」となります。マリヤを熱心に捜し求められた主は、世に惑わされ、迷える私たち一人ひとりをも熱心に捜し求め、神の国の民(=わたしの民)として回復してくださるお方です。私たちの国籍は天にあります(ピリピ3章20節)

◆ヨセフの祈り…マリヤが身重になったことが明らかになったとき、ヨセフは「内密に去らせようと、思い巡らした」と聖書は記します(マタイ1章20節)。この「思い巡らす」という言葉は70人訳聖書(ギリシャ語)の創世記6章6節で用いられています。アラム語では慰める・(死者を)よみがえらせる」です。ですから「思い巡らす」というのは、慰めと回復を祈る祈りと言えます。

◆夢見るヨセフ…祈りながらヨセフは夢を見ました。「妻マリヤを迎えなさい(…)生まれる子の名をイエスと付けなさい。民を罪から救ってくれる」(マタイ1章20-21節)と、み使いに告げられました。新約のイエス様の父としてのヨセフと旧約のヤコブの子ヨセフの共通点は、夢見る者だということです。また常識的には明らかに好ましくない状況、出来事を前にしても受け入れ、騒がす、静かに祈り、主の御声を聞き、即座に実行する。イエス様ご自身の姿もそうでした。苦難の中にあっても受け入れ、騒がず、ひとり静かに祈り、みこころを行ないました。

◆結び…今年2024年も残すところ、あと一週間余りとなりました。聖霊様の導きによる出来事と隣人と出会いの中で、イエス様の愛の御業を体験し、証しする年末となるよう、祈ります。

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