Posted on 10/20/2024 at 17:43, by matsumoto

『創造主のみこころ』(ユダヤ人キリスト者と共に その4)(2024.10.20)

神である主は、アダムとその妻のために皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。(創世記3章21節) /義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする(イザヤ42章6節)

◆はじめに…今日は、『創造主のみこころ』と題して、①神様の創造と愛、②皮衣と光り衣、③キリストを着る、ということで、神様が私たち人間を深く愛し、救いの道を示して下さっているということでメッセージを聴きたいと願っています。さて昨日、私の勤めている社会福祉法人の障害者施設で“恵愛まつり”というイベントがありました。ちょうどユダヤ教の三大祭りのひとつ“仮庵の祭り”の時期になります。その仮庵の祭りの最終日が“シムハット・トーラーで、シナゴーグでは年間トーラー朗読の最初箇所、創世記1章からの天地創造の箇所が読まれ、トーラーの巻物を抱えて、会堂の周りを踊りながら進みます。

◆神・神である主・主…(エロヒーム)は、六日で天地万物(自然環境)をお造りになられたお方です(創世記1章)。神である主(ヤハウェ・エロヒーム)は「土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた」(創世記2章7節)と粘土で像を形作る彫刻家のように創造され、『人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、ふさわしい助け手を造ろう』(創世記2章18節)と、最初の人間が自分自身で孤独に気づく前に、最初の人間の孤独を知っておられるお方です。

◆皮衣=光の衣…主なる神は、最初の人間、アダムとエバを、その罪ゆえにエデンの園から追放した厳しい神のイメージが強いと思います。しかし、私たちが罪を犯す弱い存在だからこそ、「皮衣」を着せて下さり、自らの弱さ、限界を認め、主に依り頼んで歩む霊的成長の過程を傍らにいて伴走して下さる親愛の情に溢れるお方です。そのお方を私たちは“主”と呼びます。この主が、アダムとエバに与えて下さった「皮衣」を“光の衣”と1世紀の賢者ラビ・メイアは解釈しています(「皮」と「光」はどちらも“オール”と発音する)。主がイエス様だと信じる私たちは、「皮衣」からは“贖い主なるイエス様”を想い起こしますし、「光の衣」からは“世の光なるイエス様”(ヨハネ8章12節)を想い起こします

◆キリストを着る…私たちに主が与えて下さったのは私たちの罪の贖いのために十字架に掛かられたイエス様ご自身です。そのことをパウロはローマ書で「主イエス・キリストを着なさい」(ローマ書13章14節)と言っています。また12節では「光の武具」と言っています。私たちに与えられた“皮衣”“光の衣”は主イエス・キリストです。新しい服を着ると私たちは、心躍り、内側から輝きます。

◆結び…私たちに新しい服、皮衣、光の衣を与えて下さった主に感謝します。主イエス様が語られた「罪に定めない」「裁かない」「すべての者を救うために来た」と言う福音を、身をもって世に顕す日々となるよう祈ります。

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