Posted on 09/23/2024 at 10:23, by matsumoto

『イエス様に近づく道』(新約に引用されている旧約 その104)(2024.9.22)

「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の主は仰せられる。(マラキ3章1節) /この人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれているその人です。(マタイ11章10節)

◆はじめに…昨日、『終わりに見た街』というテレビドラマを観ました。現代から第二次世界大戦の戦時下に大泉洋さんが父親を演じる家族がタイムスリップするという設定。大泉さんは「戦争を経験していない世代の人たちが戦時下に行ってしまった時、若い子たちは周りに流されていき、自分も国のために戦いたいという気持ちに変わっていくところ」に怖さを感じたと語っていました。

◆主に近づく…2022年5月からシリーズで「新約に引用されている旧約」を共にみことばに聞いてきましたが、いよいよ本日で最後になりました。毎主日礼拝で、旧約の主の愛と約束のバックボーンがあって、それに新約のイエス様のいつくしみと恵みが包み込んで下さることを実体験させて頂いたように思います。本日は、しばしば什一献金の奨励で取り上げられるマラキ書です。だからと言って、今回、献金のお奨めをする訳ではありません。主に向かう姿勢、あるいは心持ち、主に近づく道筋を共に確認する機会になるのではと願っています。

◆旧約最後の預言者…マラキは旧約最後の預言者です。活動した時期はバビロン捕囚解放後、約百年後になります。ユダヤの民の主に向かう姿勢はどのようなものであったというと、霊的に鈍感になっていました。主に対して「どんなふうにあなたが私たちを愛されたのですか?」(マラキ1章2節)「どんなふうに私たちがあなたの名をさげすみましたか?」(同6節)「どんなふうに私たちはわずらわしましたか?」(同2章17節)と、自分たちの正当化を繰り返しました。そんな中にあっても主は希望で預言を締めくくっています。「預言者エリヤを遣わす」「のろいでこの地を打ち滅ぼさないために」(マラキ3章5-6節)。その後4百年の間、預言は止みました。

◆ゼカリヤとザカリヤ…ゼカリヤの名の意味は「主は覚えておられる」と先週、学びました。また、バプテスマのヨハネの父は祭司ザカリヤですが、ザカリヤの名もまた「主は覚えておられる」です。そしてマラキは「わたしの使者」です。つまり主は祝福の約束を覚えておられ、4百年の時の橋を渡り、祝福のメッセージを持ち運ぶということです。祝福のメッセージはマラキからバプテスマのヨハネへと渡されました。そのメッセージの内容は、イエス・キリストです。

◆結び…祝福のメッセージが旧約時代から新約時代へ、そして私たちのところまで届けられ、イエス様に近づく道が日々備えられていることを感謝します。

 

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