Posted on 07/22/2024 at 08:42, by matsumoto

『誠実とあわれみの主』(新約に引用されている旧約 その96)(2024.7.21)

わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。(ホセア6章6節) /『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9章13節、12章7節)

 

◆はじめに…全国高校野球福岡大会で福大若葉高校がベスト4に進出。そして明日22日(月)、同系列の強豪、福大大濠高校との準決勝に。お互いリスペクトしあって、勝っても負けても選手一人ひとりの、そして私たちにとっても記憶に残るような試合になると、期待しています。

◆当事者性…その若葉高校の監督は「当事者性」「リスクを取れ」とインタビューで語っています。また「うちの野球は『ザ・筋書きのないドラマ』。シナリオはない」とも。監督と選手、そして選手間相互の信頼関係で、常識の枠を超える思いきったプレーが随所に見られました。観ていて爽快でした。

◆ホセア…ホセアの名の意味は“救い”。当時イスラエルは宗教的、道徳的、社会的腐敗がまん延していました。イスラエル王国崩壊の危機、将来の見通せない混沌とした世のただ中で、父ベエリ(ホセア1章1節)が子に名づけたのです。主は、このホセアに預言を託しました。その混沌としたイスラエルの社会の中にあって主はホセアに姦淫の女だったゴメルをめとるように言われました。ホセアは自身の結婚生活を通して、イスラエルの民を愛する主ご自身を、身をもって知っていきました。主はいけにえは好まず、誠実とあわれみに満ち満ちた方なのだと言うことを。

◆主のあわれみの実際…主は、ご自身を「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている」(ホセア11章8節)「わたしは命に満ちた糸杉」(同14章9節/新共同訳)とおっしゃっています。イエス様は、このホセアの口を通して語られた主のあわれみがどのようなものなのかを、取税人マタイと食事を共にすることで(マタイ9章9-13節)、そして安息日に麦の穂を摘んで食べることで(同12章1-8節)、大胆に表されました。私たちそれぞれの日々の生活の場で主のあわれみと誠実を体験し、深く知り、学び、つながらせてくださるイエス様が私たちのうちに、そして傍らにおられ、導いて下さっています。

◆結び…私たちの身の回りの状況や全世界の状況がどのような状況になったとしても、主は、私たちを決して見捨てず、誠実とあわれみをもって励まし、力づけ、救いあげて下さることを信じて、感謝します。

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