Posted on 06/10/2024 at 10:14, by matsumoto

『生きる道を啓かれる主』(新約に引用されている旧約 その90)(2024.6.9)

わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた(…)(イザヤ65章1,2節) /(…)わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現わした(…)(ローマ10章20,21節)

 

◆はじめに…先週、知り合いからの情報をもとに、武雄図書館に出かけてきました。TSUTAYAが併設されていて、また図書館内にスタバもあり、一般的な図書館とは異なり、書棚にも間接照明が施されていたりと、オシャレな書店のような雰囲気でした。しばらくその雰囲気に浸り、駐車場に向かう途中、木陰にベンチがあったので、そこでしばらく休憩しました。日差しは強かったのですが、その日差しを遮る木陰には涼やかな優しい風が吹き、安息のひと時でした。そこで主が備えてくださった“ヨナのとうごま”(ヨナ4章6節)を思い起こしました。

◆思い直される主…ヨナが、一度、ニネベに預言を伝えることから逃げた後、主から再度託された預言は「40日したらニネベが滅ぶ」(ヨナ3章4節)ということでした。ヨナにとってそれは快いことでした。なぜなら異邦人が滅ぶことはイコール、イスラエルが栄えることだと信じていたからです。ところが主は、ニネベの人々がヨナの預言を聞いた後、悔い改める様子をご覧になり、わざわいを「思い直され」たのです。今日のイザヤ書65章1-2節の預言のみことばは、イザヤの召命の際、イザヤが主ご自身から託されたみことば(イザヤ6章9-10節)への主の応答と言うことができます。これもある意味「思い直し」に似ています。主は聖なる方であり、義なる方ゆえ、裁かれる方です。しかし同時に愛とあわれみの方であるゆえ、生きる道を啓いてくださる方です。ヨナは主の気前の良さを受け入れられなかったようです。しかしそのヨナに対して主は語り続けています。イザヤ65章2節のみことばによれば「一日中、わたし(主)の手を差し伸べた」になるでしょう。主は関わりを決して切らないお方です。

◆イエス様の裁きと弁護…主は、この生きづらい世の中で、私たち一人ひとりと関わり続けられ、私たちの生きる道を啓いてくださいます。律法的常識(偏狭な正義)を超えて愛とあわれみ(慈悲)を施してくださいます(ヨハネ8章3-11節参照)。そして主は、この世での生きる道に止まらず、新しい天新しい地を創造され、死と滅びを超えて、私たちが永遠に、喜びに生きる道を啓いてくださると約束されています。

◆結び…今、八方塞がりのような状況にあったとしても、イエス様は「平安あれ」と私たちの傍らで語り、手を差し伸べ、喜びに生きる道を啓いてくださいます。

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