Posted on 12/31/2023 at 08:52, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『祝福を蒔く者』(新約に引用されている旧約 その72)(2023.12.31)

彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に固く立つ。(詩篇112篇9節) /「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。(②コリント9章9節)

◆はじめに…今年2023年の10大ニュースをあげれば①新年早々コロナに罹患②えんじょい退職③壱岐原島へ移住④老健壱岐に就職⑤原島でリモート礼拝開始⑥離島留学生の遺体が原島で発見⑦原島の天使(Мさん)との出会い⑧眞津代牧師肺マック症&高カリウム血症に⑨柳川に移住⑩恵愛園入職、です。年初めに思い描いていた暮らしとはまったく違って、激動の年、主の激しい“恵みの洪水”に翻弄された年でした。新年は、洪水で翻弄された箱舟がアララテにとどまって後、ノアがそこに祭壇を築き、献身のささげ物を主にささげたように、主の遣わされた地で、主の召しに忠実に応えていきたいと思っています。

◆惜しみなく与える…本主日、2023年最後の礼拝のテキストの主題は、「与える」ときの心得と、その「報い」です。誰に与えるのでしょうか? 貧しい人々に、です。なぜ貧しい人々に与えるのでしょうか? 貧しい人々は、お返しをすることが出来ないからです。つまり与えることは「報酬(リターン)」を期待(計画)することなく与えるということです。「与える」ことは取引ではないということです。しかも“惜しみなく(ケチケチせず気前よく)”与えるよう勧められています。「彼(その)の義は永遠にとどまる」とパウロは詩篇を引用して語っていますが、これは彼(私たち)の“施し(慈善)”が「義」の条件となるということではなく、貧しい人々(お返しの出来ない者)に与えたものは失われることはなく、永遠に残るということです。

◆祝福を蒔く…パウロは「与える」ことを「種蒔き」として表現しています。地に投げられた種が再び希望の芽を出し、豊かに実を結ぶ(神を信じ、人を信じて生きる)ことを「永遠の義」と表現しています。「豊かに蒔く者」とあるところの“豊かに”は原語では“祝福”ですから、「祝福を蒔く者」ということになります。私たちは、主から「祝福を蒔く者」として召されています。そして主は、喜んで祝福を蒔く者を愛してくださり、恵みをあふれるばかりに与えてくださる方だと、パウロは確信をもって私たちに語っています。

◆結び…今年2023年も今日で終わります。今年一年、私たちと共に歩んでくださったイエス様に心からの感謝をささげます。そして新しい年2024年も愛と恵みをあふれるばかりに与えてくださる主をあがめます。

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