Posted on 09/10/2023 at 07:34, by matsumoto
善(טוֹב/ἀγαθόν)を行なう者はいない。ひとりもいない(詩篇53篇3節) /義人(δίκαιος)はいない。ひとりもいない(ローマ3章10節)
◆はじめに…朝は涼しい風が吹き、夕はコオロギたちの鳴き声が聴こえて、日に日に秋の気配が深まってきました。秋は祭りの季節でもあります。イスラエルでは秋に新年を迎えますが、今年は9月15日の日没から新年(ローシュハシャナー)を迎えます。新年に続いて9月24日の日没から贖罪日(ヨムキプール)、そして9月29日の日没からユダヤ三大祭りのひとつ、仮庵の祭り(スコット)を迎えます。
◆贖罪の日…イスラエル(ユダヤ教)では贖罪の日には、一年分の罪の赦しを乞う日とされています。そして普段はシナゴーグ(ユダヤ教の教会)に通っていなくてもこの日だけはシナゴーグに足を運びます。この日、全ての会社・商店は休業、公共交通機関も完全にストップ。空港も閉鎖さ、テレビ・ラジオ放送もストップします。「食事もせず、何もせず一日家で静かに過ごすヨムキプールは、自分を見つめ直す機会。去年一年間の自分の行いを振り返り、反省し、どのようにしたら自分が向上できるかを真剣に考える。こうして新しい年に向けたパワーを蓄える」多くの人々は、そのような日として贖罪の日をとらえて過ごすようです。一方、日本文化、習慣のなかで生活している私たちは、自らの過去の振る舞いを全国民的に振り返る機会は皆無です(教会においても)。ですから「義」「罪」ということを考え、意識化することは難しいのでしょう。
◆義人と罪人…パウロは「義人(正しい人)はいない」と宣言しています。つまり、すべての人間は罪人だと。「義人」と「罪人」は、相対概念です。ですから自らを「義人」と自任したパリサイ人や律法学者は、他者(特に異邦人)に対して意識的、無意識的に「罪人」のレッテルを貼りました。私たちも同様です。
◆尊い方(義なる方)は、神おひとり…そのような者に対して、イエス様は、否を宣言し(ルカ18章9-19節参照)、振る舞いました。罪人のレッテルを貼られた人々、取税人や遊女と食事をし、交流し、病人を癒されました。この世において生産性の無い者、法を守れない境遇に追いやられた者など、「罪人」とレッテルを貼られ、差別、抑圧され、失われた尊い生命の現実があります。神によって“良し”とされ、この世に生かされている尊い生命が、人によって損なわれている。イエス様は、その関係が損なわれている生命を回復するために働かれました。
◆結び…すべての被造物は、創造の主によって創造され、“良し(トーヴ)”と宣言されています。すべては良い方(義なる方)との関係において“義”なのです。イエス様は今日も、失われた人(生命)を捜して救おうと働かれています。
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