Posted on 06/03/2023 at 21:56, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『私はゆるぐことがない』(新約に引用されている旧約 その50)(2023.6.4)

私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない(詩篇16篇8節) /「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は私が動かされないように、私の右におられるからである(使徒の働き2章25節)

◆はじめに…リハビリデイの現場で働いていますが、利用者さんの傍らに立って移動のサポートをする場面が多々あります。当然ながらサポートを必要とする利用者さんは、サポートを必要としない利用者さんと比べて、ADLが低下しています。しかし、支えがあれば残っている能力を使って、移動(活動)でき、さらにその人らしく自立した生活ができます。自立というより“共立”と言った方が良いかもしれません。仕事場では私自身、支える側ですが、日常生活では支えられる側です。島の皆さんのやさしさに支えられ、いつも主が共にいてくださり、日々を生きる力を与えられています。

◆ミクタム…今日のテキストの詩篇16篇の表題は「ダビデのミクタム」です。ミクタムというとすぐに連想するのはミクタムレコードではないでしようか。「神様を表現することが最高の芸術だという確信」「創造主を近く感じたことを賛美として“黄金の歌”を届けられたらと、昨年召された小坂忠さんが1978年に設立した日本初のゴスペル専門のレコード会社です。

◆キリストの福音…先週のテキストでは、幼子と乳飲み子の口には“力”と“賛美”があり、それは主に向かって叫ぶ“ホサナ!”だと。そして“ホサナ!”と主に向かって叫ぶことで、主の力が注がれて救われるのだと。それはペンテコステのとき最高潮に達し “異言”(天国の方言)として、全世界の共通言語、根源的なことばとして、すなわち乳飲み子が発する、強力な意志をもった“喃語(なんご)”として皆が話し出したのだと学びました。その後ペテロは、今回のテキスト詩篇16篇8-11節を引用しつつ、 ダビデの黄金の歌(ゴールデンソング)をキリストの福音(ゴッドスペル=ゴスペル)メッセージとして語ったのでした。「この方(イエス様)が死につながれていることなど、ありえない」「いのちの(木への)道を知らせてくださる」「聖霊を注がれたのだ」と。聖霊様はいつも私たちの傍ら(右)におられる方です。そして助言を与えて下さる方です。そしていのちの(木の)道を知らせて下さる方です。その方を創造主の右の座におられるイエス様が送って下さったのです。

◆結び…聖霊様の語られる御声に耳を傾け、日々の小さな歩みと、人生の重要な決断を導いていただけるのは、すでにエデン(ゆずりの地所)が回復されている揺るぎのない証しです。

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

Comments are closed.

アーカイブ ログイン お問い合わせ