Posted on 06/19/2022 at 15:28, by matsumoto
主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」(創世記12章1節) / 『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け』と言われました。(使徒の働き7章3節)
◆はじめに…昨日、眞津代牧師の出身教会(母教会)・博多教会で、名誉牧師だった川内研二牧師の告別式が執り行われました。その様子がYouTubeで配信されていましたが、三男の川内悟氏の奨励は川内牧師の人となり、イエス様の愛に活かされた姿が良く分かり、また、古参の信徒の弔辞でのユーモア溢れるエピソードが、参列者にぬくもりある慰めを与えて素晴らしい式でした。
◆わたしが示す地へ…川内牧師の死の間際、牧師婦人が一緒に歌ったのが川内牧師の愛唱聖歌『見ゆるところによらず』(聖歌539番)だったそうです。今日のテキストのアブラハムの信仰がテーマになっている聖歌です。創世記11、12章を見ると、アブラハムが主から「わたしが示す地へ行きなさい」との御声を聞いたのはカラン(ハラン)でした。しかしユダヤの議会で訴えられたステパノはその弁明で「カラン(ハラン)に住む以前まだメソポタミヤにいたとき」(使徒の働き7章2節)と、生まれ故郷のウルにいたとき、すでに「わたしが示す地へ行け」との御声を聞いていたのだ、そうステパノは語っています。つまり、私たちに御声を掛け、召し出される主は、“場所”に縛られるお方ではない、そうステパノは語っています。もっと突っ込んで言えば、神殿(聖なる所)に縛られるお方ではないし、教会に縛られるお方でもないのです。どこに行っても、主は私たちと共にいて下さる方、インマヌエルの主です。
◆霊的礼拝…ですから礼拝は日曜日に教会で捧げることだけではなくもっと多様です。イエス様は、サマリヤの女に「父を礼拝するのは、この山(ゲリジム山)でもなく、エルサレムでもない(…)霊とまことによって父を礼拝する時が来ます」(ヨハネ4章21-24節)とおっしゃいました。またパウロは、霊的礼拝とはこの世と調子を合わせるのではなく“心の一新によって自分を変える”ことによって神のみこころを知ることだ(ローマ12章1-2節参照)と語っています。礼拝とはChance & Change、イエス様と出会い、真の礼拝者となっていく旅路です。三男・川内悟氏は「父はイエス様から愛とゆるしを与えられ、その愛とゆるしをもって私に接してくれた。そして最後には『やっぱりイエス様だよね』と言っていました」と。
◆結び…今週、それぞれの生活の様々な場面でイエス様の愛とゆるしに触れ、真の礼拝者への旅路を歩むお一人ひとりであるよう、主に願います。
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