Posted on 02/13/2022 at 21:52, by matsumoto
彼らは飢えず、渇かず、熱も太陽も彼らを打たない。彼らをあわれむ者が彼らを導き、水のわく所に連れて行くからだ。(イザヤ書49章10節)/彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。(ヨハネ黙示録7章16-17節)
- はじめに…北京五輪は波乱に満ち、悲喜こもごも。スキージャンプの高梨沙羅選手は、103メートルを超えるジャンプの後、スーツの規定違反で失格になり、フィギュアスケートの羽生結弦選手はショートプログラムの冒頭、氷に空いた穴にはまって、4回転が1回転になり出遅れ、メダルを逃し、共に涙しました。その後、メディアやファンからの「自分を責めないで」「美は国や個人の価値観を超える」「真の精神ね」など、励ましや賞賛の声が広がっています。聖書は語ります。「神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」
- 困難な道のり…先主日に続いてイザヤ書49章のみことばから主のメッセージを聞きます。主はイスラエルの民をバビロンの捕囚から解放し、聖なる都エルサレムへの帰還の道を啓かれました。その荒れ地の道のりは1000キロを超える距離です。しかも帰るべき都も荒れ果てています。目の前の現実を見たらとてつもなく困難な道のりです。人間的な努力や精神力では太刀打ちできる状況ではありません。助け、ガイドが必要です。
- あわれむ者が導く…主は、その困難な状況のただ中にある者(私たち一人ひとりも含めて)をあわれむ者が道のりを共に歩いてくださる(10節)とみことばは語っています。主はコンパッション(compassion)してくださいます。感情を共にしてくださり、受難を共にしてくださるお方です。
- 御座の正面におられる小羊…使徒ヨハネは、バビロン捕囚からの解放とエルサレムへの帰還の預言の出来事を下敷きにして、“大患難時代”に証し人として生涯をまっとうした者(白い衣を着ている人たち)の、天での祝福の出来事として引用(啓示)しています(黙示録7章16-17節)。バビロン捕囚の解放とエルサレムへの帰還を導いた「あわれむ者」は、新しい天と新しい地、天の聖都の“御座の正面におられる小羊”の前触れだということです。
- 結び…天の出来事(祝福の真実)を地の出来事(歴史)の中に顕わして下さる主に信頼して日々を歩める幸いを主に感謝します。
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