Posted on 08/29/2021 at 09:17, by matsumoto
それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、(…)(使徒の働き26章18-19節)
- はじめに…先週26日の夕方、アフガニスタンの首都カブールの空港で死者百人を超える爆破テロが発生しました。なぜ、テロはなくならないのか。アフガニスタンで活動した医師の中村哲さんが、参考人として招かれた国会で発言している。「土壌、根っこの背景からなくしていかないと、ただ、たたけ、たたけというげんこつだけではテロはなくならない」(8月28日付『中日春秋』より)。
- テロリスト・パウロ?…今日の箇所で、パウロはアグリッパ王の前で弁明(回心の証し)をしています。ナザレ人イエスの名に強硬に敵対し、聖徒たちが殺されるときには、それに賛成し、罰し、強いて御名をけがすことばを言わせようと激しい怒りに燃えて彼らを追跡したと、かつて自身がキリスト者(この道の者)を誰彼となく標的にしていたと、あたかもテロリストのようだったことを表白しています。そのパウロに復活の主が、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ』(使徒の働き26章14節)と語りかけられたというのです。
- とげのついた棒と天からの啓示…“とげのついた棒をける”というのは、広く用いられていた格言です。当時、牛に鋤を引かせ畑を耕していたのですが、歩みを止めたり、歩みが逸れたりした時、主人がとげのついた棒で叩いて、牛を操縦していました。しかし牛にも気分の悪い時もあり、自らとげのついた棒を蹴ったりすることがあり、そうすると当然、痛い訳です。パウロは気が付いたのです。死者の復活、メシアの到来は信じていたけれども、木(十字架)につるされて死んだ者は神に呪われた者(申命記21章22-23節参照)であるので、ナザレ人イエスは呪われた者であってメシアではないというかつての確信は、真理ではなかったのだと。そうではなくてイエス・キリストが私たちのために呪われた者となって、私たちを律法の呪いから贖い出して下さり(ガラテヤ3章13節参照)、罪の赦しを得させ、御国を受け継がせて下さるという“天からの啓示”を確信し、アグリッパの前で大胆に証したのです(使徒の働き26章18-20節参照)。そして鎖に繋がれたパウロは預言どおりローマへと導かれることとなります(同23章11節参照)。
- 結び…罪の赦しと御国の希望を胸に歩ませて頂けることを主に感謝します。
You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.
|