Posted on 10/26/2020 at 08:51, by matsumoto
神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です(テモテへの手紙第1 3章15節)
- はじめに…かつて私は詩を書いて同人誌に投稿したり、自家刷りの詩集を発行していたことがありました。自営業を営んでいた頃、バブル経済がはじけ、借金返済に追われる生活のなか、詩を書くことは、生きるための一縷の望みでした。今、コロナ禍でどれほど零細自営業を営んでいる方が苦しいなかを日々必死で生きておられるか、そして一筋の希望の光を求めているか、思いを馳せ、主に祈ります。今の苦しみは希望につながっていますから、あきらめないでください。
- 教会の役職…今日のテキストの3章は9割が教会の役職である監督と執事の資格について書かれています。そして残りの1割が、その教会の本質を6行詩で明示しています。どんな集まりでも、ある程度の規模になると組織化し、役割分担して、活動を維持、発展、成長します。しかしどこまでも本質(理念・定款)が目的でありもっとも大切です。テモテの牧会するエペソの教会もその成長過程で監督と執事の役職を置く必要性が生まれつつあったため、すでに老境に入ったパウロが若いテモテに具体的にアドバイスをしたのでしょう。当時、エペソ(現トルコ)は商業都市で多くの商人や旅人が行き交いました。街の中心には荘厳なアルテミス神殿があり、月神アルテミス(豊穣の女神)が崇拝の対象でした。そのような都市の隅にエペソ教会が立ち上がろうとしていたのです。
- 真理の柱また土台…小さなエペソの教会が産声をあげてから、いま自力で立ち上がろうとしているのです。その幼き我が子を愛おしみ優しく声をかける父母のようにパウロは愛弟子、同労者のテモテに声援を送ります。“教会は生ける神の教会だ”“教会は真理の柱、土台だ”と。アルテミスのような死んだ偶像ではなく、ただの大理石の柱でもない。教会をイエス・キリストが支えるのではなく、教会が、すなわち私たち一人ひとりの内なる教会が、真理の柱また土台として、この世界の一端を、否、全宇宙を支えているのだ、そうパウロは語っているのです。そして真理の柱、土台なる主を賛美するのです。キリストは肉にて顯され/靈にて義とせられ/御使たちに見られ/もろもろの國人に宣傳へられ/世に信ぜられ/榮光のうちに上げられ給へり(文語訳聖書)
- 結び…土の器、欠けある脆い私たち一人ひとりの存在を通して、生ける神、イエス様が自由に働かれるのです。主の栄光が皆さんお一人ひとりを通して輝く新しい一瞬一瞬であることを信じ、主に感謝します。
《追記》
zoom参加を希望される方は10時15分-25分の間に
ミーティングID: 619 286 4474
パスコード: 3D3M69
でアクセスしてください。
※注意事項
①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除をします)
②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります
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