Posted on 07/26/2020 at 19:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『十字架で裂かれた体=キリストの割礼』(イエス・キリストの生涯 その118)(2020.7.26)

キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。(コロサイ人への手紙2章11節)

  • はじめに…コロナウイルスの感染拡大が続き、予定していた金曜日からの壱岐行きはキャンセルにしました。きっと主のご計画があったのだと信じています。それで少し時間ができたので、久しぶりに図書館で本を3冊ばかり借りて来て読んでいます。ちなみにその3冊の書名は松本元著『愛は脳を活性化する』、クローニン著『天国の鍵』『城砦』です。
  • 異端(グノーシス主義他)…パウロがこの書簡をしたためたのは、第3回の伝道旅行の際、エペソに約3年間滞在した間に信仰に入り、コロサイ教会の基礎を築いたエパフラスが、教会に異端が入ってきたことで、獄中にいたパウロに相談に来たことがきっかけでした。ユダヤ教に逆戻りしようとするものであったり、禁欲主義的なものであったり、ギリシャ思想哲学(霊肉二元論)によるものだったりしたようです。それらに対してパウロは、「キリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されている」(コロサイ2章3節)と、真理はキリストにあり、キリストにしっかり結び付くよう勧めています。
  • キリストの割礼…今日のテキストは、“割礼”に関することです。割礼はユダヤ人にとっては重要な儀礼です。神様との契約のしるしであり、祭り(過越し)参加の権利を得る手段、清め、救いの手段と考えられています(創世記17章10節、出エジプト12章48節他参照)。ゆえにユダヤ人は、安息日においてさえ、割礼(による潔め)を行っていました。しかしパウロは人の手による形式的な割礼を絶対的に重要なこととは考えておらず、イエス様が十字架で肉を裂(割)かれた贖いの御業を“キリストの割礼”として最も重要なこととして伝えています。まことの真実であり、かつ霊的であるイエス様の贖いの十字架こそが、真の割礼、唯一の救いの手立てだ、そうパウロは語っているのです。イエス様ご自身も、割礼について、安息日との関連で言及しています(ヨハネ福音書7章14-24節参照)。教えや振る舞いが、神から出たものか、それとも人からのものか、その見極めは、神の御旨と信ずるところを行なおうと願うことだとイエス様はおっしゃいました(同17節)。そうするとき、私たちは自分自身の無力さと罪深さとを体験します。結果、イエス様の十字架の贖いの御業に与るより外に救いの道がないことを私たちは知らされます。
  • 結び…私たちに対する愛ゆえに十字架に掛かられ、救いの御業を成就してくださった主に、栄光がありますように。

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