Posted on 12/15/2019 at 21:37, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『罪の告白からキリストの告白へ』(イエス・キリストの生涯 その89)(2019.12.15)

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。(マタイによる福音書3章7-8節)

  • はじめに…待降節第3主日、3本目のキャンドルに火が灯りました。これは「バプテスマのヨハネのキャンドル」です。バプテスマのヨハネは、救い主なるイエス様を世の人々にいち早く証した、福音宣教の先駆者でした。荒野に住み、いなごと野蜜を食べ、粗末な衣服に身を包んで、“声”として働いていました。御使いガブリエルが、神殿で朝夕の香を焚く奉仕をしているザカリヤに「(…)あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。(…)彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子に向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意する」(ルカ福音書1章13-17節)と、その誕生と、その働きについて告知しています。
  • 罪の告白からキリストの告白へ…ザカリヤに告げられたみことば通りヨハネは、荒野で悔い改めのバプテスマを声高に叫びました。ヨハネのバプテスマは律法違反を認めてこれを悔い改める心の表明です。一方、イエスの名によるバプテスマは、根本的の罪、神に対する反逆を知り、神の恵みによってイエス様の贖いによる罪の赦しを知り、イエス様と共に十字架に死に、聖霊を受けてイエス様と共によみがえることを表明するものです。ヨハネのバプテスマはイエス様を信じる前提であり、イエス様を信じる信仰によりて完成されるのです(マタイ3章11節他)。それゆえヨハネのバプテスマで止るはヨハネの本意ではありませんでした。あくまでもイエス様の先駆けです。師が立っている足許を見るのではなく、師の指し示す指先の先の方向を見る必要があります。
  • まむしのすえ…しかし足許すら見ず、形だけで満足してしまうことが多いことでしょう。それでヨハネは「まむしのすえたち」(マタイ3章7節)と、厳しく叱責しました。へびの毒は酒同様、私たちの感覚をマヒさせ無感覚にするのです。私たちの感覚を健康な状態にするのは、聖霊の働きです。聖霊によるデトックス(解毒)作用で、はっきりとイエス様の到来とその愛を敏感に感じるようになります。
  • 結び…バプテスマのヨハネが指し示したイエス様が、すでに私たちの内側に来てくださっていることを実感しつつ、そしてイエス様の愛、喜び、平安(悔い改めの実)が私たちの内側から溢れ、今週出会う一人ひとりにイエス様が証しされるよう祈ります。

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

Comments are closed.

アーカイブ ログイン お問い合わせ