Posted on 10/27/2019 at 21:05, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『伝道旅行は介護旅行』(イエス・キリストの生涯 その84)(2019.10.27)

言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。(使徒の働き14章15節)

  • はじめに…先週、福岡から家内の友人2人が訪ねて来られました。可児市にあるバラ園のバラを観に行くことと、過越しの食事を実際に体験することが目的でした。秋のバラは春とは違い、咲き誇るといった感じではなく少し寂しい感じでしたがその分、強く香りを放っていました。過越しの食事は出エジプトの出来事と同時にイエス様の最後の晩さんと復活を覚えるものですが、一見すると「これだけ?」と思えるほど質素な食事ですが、すこぶる満腹感を感じます。私たち人間は“見た目”に影響され、いかにその本質を見誤るか、実感します。
  • 神々が人間の姿をとって…さて、今日の聖書のテキストはパウロの第一次伝道旅行のルステラでの足の不自由な人のいやしにまつわる出来事です。パウロの「まっすぐに立ちなさい」という宣言で、生まれた時から足の不自由な者が飛び上がって歩き出したので、町の人たちは驚愕し、パウロとバルナパをギリシヤ神話の神ゼウス、ヘルメスと呼び、いけにえをささげようとしたのです。つまり“偶像視”したのです。
  • 同じ人間です…それに対してパウロたちは「私たちも皆さんと同じ人間です」と語りました。正直に町の人々に接しました。そして「あなたたちの信仰は間違っている」とはせず、町の人たちのありのままを認めたうえで、「私たちの伝えている神は雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びで、心を満たしてくれるのです」と、語りました。もしパウロとバルナパにキリスト教布教の野望があったなら、町の人たちの歓心を買い、自らを優位な位置に置く(偶像化する)ような言動になったでしょう。しかしパウロたちは町の人に対して支配的な振る舞いはせず、身体とたましい、霊を“ケア(介護)”したといってよいでしょう。いうなればパウロの伝道旅行は“ケア・トリップ(介護旅行)”といえるでしょう。それは「わたしの羊を飼い(世話=介護)なさい」と語られたイエス様の愛といつくしみの現れでしょう。
  • 結び…イエス様が私たちと正直に、そしてありのままを認め信頼して接したようにパウロも同じように旅するなかで隣人に出会っていきました。私たちも人生の旅路で出会う一人ひとりと正直に、そして信頼をもって接していくことで、イエス様の愛を内に満たし、そして現わしていきたいと願います。

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

Comments are closed.

アーカイブ ログイン お問い合わせ