Posted on 09/01/2019 at 19:29, by matsumoto
彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(使徒の働き9章4-5節)
- サウロという人…ステパノが石打ちの刑に処せられている時、サウロはそこにいました。サウロはヘブル語で、ラテン語ではパウロといいます。父親は天幕作りの職人でそれを習っていたようですが、とても頭の良い人でした。聖書の暗記大会ではいつも一位を取るほどで律法を忠実に守って生きていました。そのため“その道の者”(使徒9章3節)と呼ばれるキリスト者を迫害することにも熱心でした。
- ダマスコ途上…頭の良いサウロはキリスト者が大勢集まっているダマスコ(現在のシリア)に行き、その道の人々を捕えようとして出かけます。その途上で復活の主イエス様が彼に現われました。「サウロ」とイエス様は呼びかけられます。
- 新しい人となったサウロ…目が見えなくなったサウロは三日間、飲まず食わずで過ごしました。サウロは三日間、今まで律法主義になり真理を見ることができなかった自分自身、つまり古い人との決別の時をイエス様は与えられました。そしてアナニヤを通して再び目が見えるようになった時、サウロは新しい人に生まれ変わりました。イエス様は私たちの罪を贖うために十字架にかかられました。そして三日目に復活されるまでの間、よみに下り、すべての暗闇、罪と戦い勝利されました。サウロは聖霊に満たされ、主イエス様の十字架と復活、そしてイエス様は救い主であることを宣教する人へと造り変えられました。
- 結び…サウロは目が見えなくなった三日間、恐怖と不安の中にいたかも知れません。何もすることができない全くのお手上げ状態、無力さの極みです。そのどん底にイエス様は御手を差し伸べて下さり、解放と平安を受ける新しい人として造り変えて下さいました。私たちをとりまく問題は、無遠慮に私たちの目や心に押し入ってきます。そのような時、私たちは目を閉じ両手を広げて問題を手放しましょう。その時、イエス様は微笑んで私たちを包み新しい人として抱いて下さいます。
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